Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.1.8

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「浮世の有様 巻之六」

◇禁転載◇

遠州稗原村村上庄司より来状の写 その1

     
  大坂表も放火大騒動の由、八方の入口へ番所相建て、人は勿論書状等迄も一々御改有之候と承り候間、態と差控へ申候。色々承候処、五人は五色の咄にて一向相分り不申候。然る処に、町御奉行跡部様地役人勤番にて、御勝手相勤め被申候人、此節帰国御座候て承り候処、最早静に相成候と承り候に付、御返事差上げ申候。大延引に相成候段、真平御用捨可被下候。御宅の儀如何と御案じ申上候処、御別條無御座と承り、安堵致し候。扨々大変之事之由に承り申候。 
 




一、江戸表も米価高直にて、一同難義之由に御座候。米相対(あひたひ)売は一斗九升、御屋敷へは一斗八升と申す事に御座候。町方にては一食にて居候人数多有之候由。米払底に相成り金子出し候ても一切無御座候由、此方の屋敷へも舂米屋二軒より入候処、両人共に断りに相成差支へ候て、御蔵宿へ相談致し、御扶持米を受取候様に相成り、飯米差支は無御座候。当方より送候処、雨天故出帆無之候。諸家様一同大困りに御座候。扶持方代渡りの御屋敷も有之候由に御座候。  






御救小家御取払に相成候処、町方御屋敷方之持場に行倒者数多有之溜り候に付、御代官へ被仰付、板橋・千住・品川・新宿に御救小家建て、御手当被下候由。公儀御代替に付、町方店借りの人へは一人に付き米一升八合づつ去月廿五日に被下候由、難有事御座候。右は大層の事に可有之候。江戸表も大火は無之、小火(ぼや)々々は度々有之候。先日も両度計り御手合有之、物入には困入り申候。  





 






一、当国も大困窮に相成申候。正月より田螺(たにし)を拾ひ食物に致し候。右田螺は食物には第一に御座候得共、去月中頃迄にひろひ取り、此節は一向無之候。去月上旬より葛の根・蕨の根・青草・藤の葉・榎の葉を取り食物に致し候。多勢にて取り候間、右も一切無御座候。宿々の難渋むごき事に御座候。雨天故麦違ひ可申と一同心配致候。

去月二十日頃より日和乞神に掛け、信心計り致し居申候。麦無難に取入候へば、半ば凌に御座候。私共も米三分麦七分位に致して試候処、麦が徳に御座候。

 











山中には一向食物(たべもの)無之、木葉・松木の皮食物に御座候。過半死去致し候。非人一日に四五十人位も参り候処、此節は一人も不参候。皆々相果て候様子に御座候。

一、江戸表も右様困窮之中、芝居は入り有之候由に御座候。以上。

  〔この処御代替の終の記事と重複に付き略す〕*1

 




 


      (さんずい)に酉の年とて酒屋めがむしやうに遍の水をうりだす

      之やこの行くも帰るも米の沙汰知るも知らぬも大坂のせつ

     矢部嬉しや   大坂西御町奉行矢部駿河守なり。
     跡部騒動    同跡部山城守なり。
     大炊に御世話 御城代土井大炊頭なり。
     火矢でもあがれ 

 
 





江戸にて十月一ケ月に行倒人 百五人・捨子 五十三人・駈落 十八人・盗賊 百五十七人、湯屋著逃 数不知。 市中表通計りにて、家数凡て二十八万八千軒程有り。此外に御救米下され候人数百二十八万七千八百人程、此内男五十八万九千八百人。女六十八万八千人。 猶外に三千八百四十四人、座頭。三千五百八十人、神主。七千二百三十人、山伏。五万四千八百五人、出家□□。新吉原町人数、一万五千七百人程、内男八千二百人、女七千五百人、遊女二千五百人。

右は昨申年十月の事にて、当年の事には非ず。今年は定めて大層なる事なるべし。

 
 


    麦米を喰らひ尽してその上でくらひよくせよ世の中の金
    とられたる程は取る気の山ならん五両けんあれ五両しんあれ

 但し後藤昨年より二十万両公儀より御用金仰付けられ候事に付いてなり。

 


管理人註
*1 三一版には次のものがある。


「遠州稗原村村上庄司より来状の写」 その2
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