一、廿六日実説相分候。大塩父子専ら江州彦根にて被召捕候由風聞致候へ共、是は人違にて候と被存候。彦根家中の子息一人、大塩門人にて大坂へ参居候へば、乱妨の節相雑居候由。夫故彦根江落行候哉と申す事、鳥井本より高宮へ越し、山中にて被召捕候と申す事此人ならんか。
一、四つ橋の下より刀五本水中より取揚げ候よし。悪党共の抛込置候なりとの風聞、但し八本抛込み置候と申事。
一、庄司儀左衛門の妻乳呑子を抱へ、下部一人を召連れ、兵庫の親類江落行候処、一向に寄不付候故、有野屋徳蔵を相頼み候処、是も本人はえ不留段々の頼みに、下部の持居候包み出預り置候。三人は宿へ行候処、早被召捕候。有野家内不残大坂表へ御召出に相成候。右は実説。其外悪党共の妻子皆々縁者へ預置き候処、其頃早速被召捕候と申事。
一、大坂(大塩?)宅焼迹に兜の鉢一つ・刀の身二本焼けて有之候。見来候者有之候。
一、勘助島にて召捕候十四歳の者、白状に、「去年三月頃より鉄炮・火矢の玉を数百も張りて計り居申候」との事。
一、一件以前に焔硝蔵にて、革葛籠に二つ焔硝を相求候処、烙硝蔵にて余り沢山に買候故不審致候処、何れか御大名方の御頼の由、焔硝蔵にも買人大塩故其儘に相渡し候由。但し其節角力取二人にて背負帰候由風聞。
一、十九日淡路町にて被打捕候侍分と覚しきは、大坂近辺の神主にて、炮術師範仕候者打殺され候故、大塩組大に力を落し、夫より落行候事。坂本源之介是も炮術師範仕候者、右同辺にて被打殺候。
一、廿五日召捕人二 実説従是上 胴丸駕籠に網を著せ来候由。此召人は与力・同心にて、廿三四日頃大坂近辺にて手に入申候なりとの事。但し廿一日伏見にて被捕候大塩守口村庄屋様にては無之候。
一、忠間と申す人の咄に「難波新地の縁家へ見舞に行き承るには、十九日七つ時頃火事装束にて、抜身の槍刀にて二十人程皆々に申候には、「権現様を和泉の岸和田へ奉送堅 (警カ)固の役人なるぞ、驚く事なかれ」と申し、南へ行候。其辺は誠にと存居候処、東照宮様は生玉江御越に候故、皆々不審致し居候処、大船一艘何丸とも不知、行方の不分る船有之、是全く大塩組船にて遁出し候哉と皆々存居候事。
一、中国屋の親類茨木にて大庄屋、此村尚御城代の領分に候。其故右庄屋百姓数人召連れ又同御領の庄屋是も百姓を召連れ、御城へ御窺に出候処、定路は吹田村への討手にて差支候と存じ、京橋への道へ巡り候処、渡し場の堅 (警カ) 固皆槍・鉄炮にて相改、無障相済又候哉京橋にて、鉄炮の火蓋を切り抜身にて押捕に懸り候故、我等御城代へ窺に出候由申し候へ共一向不聞入、皆々縄に懸り候。其故庄屋両人は頭へ疵を請け、人足も余程怪我致或は袖を落され、又周障半被を抜捨抔致し、大に騒申候。今朝河内より来る大塩組の百姓、多く此所にて被召捕、同日故斯不思仕合に及候。然共御正しの上早刻相済申候。
|