Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.1.16

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「浮世の有様 巻之八」

◇禁転載◇

正月の日次 その2





去年の憂かりしも幸にして事なく凌ぎつゝ、新玉の春を迎へしかば、歳旦に長崎詞にて戯れ歌を詠める、

  恐き年は いぬにばつてん 嬉しけれ 
  之で世の中 総てよか\/

同じく十八日の雪を見て、

  木々に咲き 四方に散りしく六の花の
  ながめも年も 豊かなりけり

当年の大小を詠める、

  豊かなる 年二逢ふこそ 嬉しけれ
  六十四州 な二ごとも七九(なく) 米の実いり十一分まで
   五三正(ごさんしやう) 後の四五に八 麦も沢山

 










昨年飢渇に迫りし者共の袖乞・乞食と成下りて、哀れげなる声にて泣叫び、昼夜の分もなく往来せしも、大かたは死失せしと見えて、乞食の数も大に減少す。され共当初相場よりして米価又々上りて、肥後一石百七匁五分余の米直段にて、雑穀等もこれに准じ、一つとして安き価の物なし。近年金銀の品数多き上に度々吹替となりぬる故、相場も大に狂ひ、一昨年来は金一両六十匁より一二匁の間なりしに、昨秋より冬に至りては、度々六十匁より内へ入り、□□の末には五十八匁五七分となりぬ。こは小判にて一両の価なり。中にも段々と甲乙あれども、別けて一朱金の位賤しとて、金百匁に付小判よりは五百目余も蹴落されぬる上に、諸人此金をば大に忌嫌ふ有様なり。巳に正月四日初相場左の如し。

    正金 五九匁四分五厘、五分段々七分五厘、 引方 六分五厘七分 地  七分位 のべ 五分七八厘・五分八九厘・六分一二厘・六分一厘 正銭 九匁八厘一分 白中印小口赤 二十四匁引 一朱 二百五十匁より三百五十匁 引 大判 廿七匁より三十匁 小玉 無印より引 触  五十九匁五十八分 九匁より二分

右両替方より、得意先々ヘ触廻りし書付の写なり。

 








一昨年の冬よりは昨年の冬には米高も登来りて、越年米もすこし多きと、極貧の者・非人・乞食等の数限りもなく死失せしとにてやらん、当春は昨年の春よりも世間も少し穏なり。され共盗賊・淫奔等の事は甚しと云ふ。

市川団蔵といへる河原乞食は、江戸に於て御碁処の弟子と成り、大坂に帰来りて頻に太平楽をいひ、中村歌右衛門といへる河原者は、江戸に於て多く借金ありて、此度彼地に召下さるゝに付、名残狂言なりとて道頓堀中の芝居にて興行す。此狂言大流行にて、五日も十日も前以てより見物の場所を取らざれば、之を見る事能はずとて、我一にと之を争ひ、大入にて群をなし、此辺の有様を見れば誠に別世界の如しと云ふ。冥加を知らざる馬鹿者共は限りなき事と云ふべし。

 


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