Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.8.14

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「浮世の有様 巻之八」

◇禁転載◇

御霊猫間川砂持 その1

 













御霊砂持は云ふに及ばず、猫間川砂持如何程に華麗を尽しても苦しからざれば、随分賑やかになし申す様にと、総年寄より内意有りぬるにぞ、三町も五町も一処になり、紅染の高張灯燈を長き竿の先に附け、之に御加勢と書記し、其上に種々思ひ\/の出車を金銀五色の細工にて之をつけ、真先に持行く様は指物・馬印の如し。

其跡に引続き千も二千も紅摺の鉄炮・襦袢・同じき股引を穿き、五色縮緬の玉襷をかけ、紅摺手拭の鉢巻なし、又は種々の細工物を頭に戴き、中には羅紗・猩々緋・天鵞絨錦・縮緬等の衣服を著用し、鉦・太鼓にて囃子立て、一統に「負けなよ\/」といへる掛声にて、一群々々駈行く有様なるに、其是を出せる町毎に其寄場を構へ、大なる杉丸太にて垣を結ひ、掟書を張付くる。

予通り掛りに砂場の寄場張紙を見しに、「未明一番の太鼓にて銘々仕度をなし、二番太鼓にて白髪町観音堂へ集り、三番の太鼓にて人数を出し候事。但し弁当は何れも宵仕込に可致事。」此の如き文面にて、一日猫間川砂持をなす事なるに、遥前より大騒に騒立ち、一日は足揃、二日目足固めなど名目を付け、三日計は大勢一群に成りて、大坂中を負けなよ\/と掛声して駈廻ることなり。

 










然るに「地車・囃子は申すに及ばす、御霊の砂持も猫間川の砂持も御番所へ出で来れ」と云ふ事なるにぞ、何れも囃し立てゝ行く事なり。

中にても囃方・練り物等の趣向、面白き練り子の美麗なる衣服を揃へたる抔をば、明日も来れと云ふ事なる故、何れも御番所の事にて気の張りぬる事故、心には欲せずと雖も、拠なく明る日又持行けば、「又明日も来るべし」と言付けられ、種々断を云へるに困りぬるも有りと云ふ。御番所には砂持往来の競を見んとて、新に物見を出来なりしと云ふ。不怪事と云ふべし。

御霊の砂持も雨天有りしにぞ、廿三日にて晴天、十日の定日なれ共、亦三日の日延を願ひ、廿四日よりは座摩宮の御旅処も砂持の願ひ御聞済にて、三郷市中大飛上りに飛上り、所々にて行合の喧嘩抔ありぬる故、如何あらんと恐れ危ぶみしに、廿二日の暮前に至り、徳川刑部卿様御逝去の由にて、廿八日迄御停止の御触有る。

 


「御霊猫間川砂持」その2
「浮世の有様」大塩の乱関係目次3

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