御霊砂持は云ふに及ばず、猫間川砂持如何程に華麗を尽しても苦しからざれば、随分賑やかになし申す様にと、総年寄より内意有りぬるにぞ、三町も五町も一処になり、紅染の高張灯燈を長き竿の先に附け、之に御加勢と書記し、其上に種々思ひ\/の出車を金銀五色の細工にて之をつけ、真先に持行く様は指物・馬印の如し。
其跡に引続き千も二千も紅摺の鉄炮・襦袢・同じき股引を穿き、五色縮緬の玉襷をかけ、紅摺手拭の鉢巻なし、又は種々の細工物を頭に戴き、中には羅紗・猩々緋・天鵞絨錦・縮緬等の衣服を著用し、鉦・太鼓にて囃子立て、一統に「負けなよ\/」といへる掛声にて、一群々々駈行く有様なるに、其是を出せる町毎に其寄場を構へ、大なる杉丸太にて垣を結ひ、掟書を張付くる。
予通り掛りに砂場の寄場張紙を見しに、「未明一番の太鼓にて銘々仕度をなし、二番太鼓にて白髪町観音堂へ集り、三番の太鼓にて人数を出し候事。但し弁当は何れも宵仕込に可致事。」此の如き文面にて、一日猫間川砂持をなす事なるに、遥前より大騒に騒立ち、一日は足揃、二日目足固めなど名目を付け、三日計は大勢一群に成りて、大坂中を負けなよ\/と掛声して駈廻ることなり。
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