Я[大塩の乱 資料館]Я
2004.1.16

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「浮世の有様 巻之八」

◇禁転載◇

金沢の敵討 その7







盆前米も大に下落せし故、盆後初相場よりしては次第に下落すべしと、諸人何れも其心なる故に、姦商共利を貪らん迚其裏をかき、九州筋は太雨降続き、洪水にて仰山に田地を流し、中国筋同様の事にて至つて不作なり。

北国は大しけにて寒気冬の如くにて、苗かじけて一円に延びず、奥羽は飢饉にて関東筋も至つて不作なり抔とて、頻に悪しき風説を言触らし、次第々々に米の価を貴うす。

九州洪水の噂は虚説には非れども、稲は元より水草の事なれば、何の障れることも非ず。尤も久留米領は九州の内にても地形至つてひくき処故、大に不作なりと云ふ。されども久留米の不作と他国の豊作と等しき事にて、格別に水の患ひなき年には、米の取入他国の三増倍も之有と云ふ事なり。

此外米一條に拘はらず、宜しからざる取沙汰のみなり。先御老中水野越州不首尾にて籠居せられしが、終に切腹せられぬ。石川主殿頭土岐山城守と、殿中に於て争論し刃傷に及ぶ、赤穂已来の大変なり抔と少しも跡形もなき浮説を言触らす。

跡部城州鼠(もぐらもち)にして堀伊賀は薄羽織なり、其心は跡部は無上に土を掘反へして新川をなし、又には昨正月に、大坂へ参られぬれど何の仕出したる事とてもなければ、来たか来ぬか知れざると云へる事の由、斯様なる悪る口を書記して御奉行所の門へ張付しと云ふ。 〔頭書〕一説には東は穢多奉行、其心はかはぜせりを渡世とすると云ふ事なのとぞ。

又高津には法華の老僧小庵に住めるが、公儀御法度を破りて不受不施の法を弘め、之に随身せし僧俗六十余人召捕らる。其中にて強盗頻に徘徊して、処々方々へ押入りて物を奪ひ、途中に於いて追剥をなし、多くの人々へ手庇を負はすなど至つて騒々しき事なりしが、穢多村・長町等に買巣落し岩等有りしが、漸々と手廻りしぞ少しは穏になりぬ。

 


「金沢の敵討」その6
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