Я[大塩の乱 資料館]Я
2004.4.9

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「浮世の有様 巻之八」

◇禁転載◇

丹州織田家騒動一件 その5

 
 








十五日晴、今夕大塩一味の者の内、肥後御預りの者共到著す。

十八日快晴、今日大塩を始め其党何れも御仕置有る。

与力大塩平八郎・大塩格之助・瀬田済之助・小泉淵治郎同心渡辺良左衛門・庄司儀左衛門・近藤梶五郎摂州吹田村神主宮脇志摩般若寺村庄屋忠兵衛年寄源右衛門百姓代伝七猪飼野村百姓司馬三助木村小路村医師文蔵阿州守口村百姓孝右衛門門真三番村百姓郡次九右衛門弓削村七右衛門事利三郎無宿正一郎、以上十八人塩漬死骸・御弓奉行組同心竹上万太郎、以上十九人於飛田磔なり。

平八郎下人三平、於千日被獄門。

平八郎忰今川弓太郎永牢。

瀬田済之助・竹上万太郎其外被刑候妻子存生の分、何れも助命にて重中軽追放。

大西与五郎、遠島。

同忰善之丞中追放

美吉屋五郎兵衛存生に候はゞ獄門。

五郎兵衛つね存生に候はゞ死罪。

重中軽追放四十余人。此内にて三人改めて入牢・五人新に手錠。

九十余人切(所カ)払。百六十人無事に御免。

美吉屋五郎兵衛娘押込にて家に別條なし。

油掛町年寄・五人組等過料にて相済候由、尚委しきは別記に詳に記す。

十八日には大坂市中は云ふに及ばず、近国よりも大塩の御仕置見んとて大勢出来り、其群集せし有様目を驚かせし事共なり。怪我人多く有りしと云ふ。予も見物に行きしが、十九人の磔、十八人は死人にて、漸く竹上一人存命故、甚だ間抜けし事なりし。

 
 

  昨年七月能勢川辺南(両カ)郡騒立候一件、当九月二日御裁許。

遠藤但馬守組同心本橋岩治郎、遠島。其余山田屋・今井等の妻子何れも無御構御免。摂州鉢山村頭百姓定右衛門、右徒党の者より廻文相廻候得共、人足不差出候に付、為御褒美銀七枚、其身一代帯刀御免、苗字永々相名乗旨被仰渡。

当年も違作の趣申立て、十六七日の頃迄には肥後一国(石カ)百三十八匁の相場と成り、次第に上りにて当年も二百位になるべし抔、専ら説をなす故に、厳しく御触有りて忽ち十匁計下落す。され共一石の米を買求むれば、百四十匁位も出さゞれば手に入れ難し。肥後抔にては是迄米仰山に囲ひ置ける事故、当年出来せし米を取入る場所なき故、追々当所へ積登せぬる米、悉く一昨年の古米なりと云ふ事なり。

 
 


管理人註
江戸に召喚されて肥後・細川家預けになった者は、吉見父子・竹上万太郎・河合八十次郎・大西善之進。この内磔は竹上万太郎のみ。


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