又西の宮蛭子の社にも同様に巣を作りぬる故、之も珍らしがりて大勢の見物絶えざりしに、廿四日何れより出来りしやらん、大なる山蜂数百、其巣を破らんとするにぞ、巣中の蜂悉出でて之を破られじと争闘すれども、之に敵し難く、外より来れる一羽の蜂に十計り掛りて挑み戦ふと雖も、悉く螯(さし)殺されて之を防ぎ難く、残る蜂皆散乱して巣を十分に破られぬ。
同廿五日、上福島天神の巣も同様の事にて大戦有りしが、之も仰山に喰殺されて巣を散々に破らる。其辺の人々大勢来りて、外より来れる山蜂を多く打殺せしかども、之を事ともせず十分に巣を乱妨し、悉く飛去りしと云ふ。
予も其噂を聞きし故、其後通り掛り之を見たりしに、巣は大に破られ、蜂の死骸其辺に散乱し、奇怪なる有様なりし。
九月朔日辰刻微雨、午の刻止み、未の刻より再び降、夜に入り止まず、
二日曇、時々雨、昨年
七月五日能勢郡乱妨の者妻子・余類御呼出と成り、悉く手軽く御免有り。
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