所司代間部下総守は至つて貧乏人なり。京都洛中・洛外の差別なく、身代宜しき町人共へ悉く私の用金を申付け、不法に取立てんとするにぞ、何れも之を患ひ、市中至つて淋しき事なりと云ふ。偶々花見・遊山等に行きぬる者など見当りぬれば、役人其跡を附来り、町所・名前等を書記し、直に其者を呼出し直に用金を申付けらる事なりと云ふ。市中一統大に困り入りぬると云ふ。
近来打続き米価高く、困窮の者多く変死する者夥しきにぞ、町奉行より巌しく困窮せる者共の取調べありて、仁慈の御取計ひ之有るにぞ、自ら町々にても是等の者を救助するに至る。此故に奉行の評判は至つてよろしく、所司代の評判至つて悪るし。
早春より下関・宮島等にて、大坂騒動の事を作りて劇場せし者共、悉く召捕られ入牢せしと云ふ。さも有るべき事なり。
十一日晴、米追々登りぬれど、其価弥々高きにぞ、下直に商ひをなしぬる様にと数々御触有り。又酒屋仲間より昨年は三分の一の仕込なりしより、当年も米価高き故尚ほ其仕込を減じ、当年は四分一の仕込になすべしとて、此度は下より願ひ出でしと云ふ。され共米価下らざりしが、巌重なる御触有りし。一日二十匁計り下りし事有り、され共下りしといへる名目計りにて、肥後一石四十匁も出さゞれば手に入れ難し。
十五日曇、未の下刻少雨直に止む。初更梶木町御霊筋出火、直に消火。〔頭書〕十月十三日江戸麹町出火、春来両度の火事に焼残りし処、大方焼失せしと云ふことなり。
九州・中国筋其外諸国共米価高く、百四五六十文位なり。されども肥前鍋島の領中計、百文に商ひぬる様に上より定められて、至つて穏なりと云ふ。これ全く田久美作が善政なるべし。
十九晴、初更江戸堀二丁目に失火有り。直に消火、近来所々に
少々宛の失火・付火等あり。又盗賊も大に徘徊し、処々に押入をなし、又喧嘩等にて人を殺害する事度度、所々方々に有りと云ふ。
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