Я[大塩の乱 資料館]Я
2004.5.28

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「浮世の有様 巻之八」

◇禁転載◇

米価調節と占買売惜の禁制  その3












有栖川宮役人と東町奉行組下与力萩野庄助と争論の事有りて、大変を引出す。前に略記すといへ共、其事詳ならざる故再びこゝに出記すものなり。 元来大坂に於て、宮様の御屋敷といへる事は、古来よりして其例なき事なりしに、大川町両国橋の辺に、大西屋金蔵といへる至つて貧窮にて、其日を暮し兼ぬる程の難渋人にて、やゝもすれば飢に堪へ難き事故、其所の住居もなり難くして、西国にや行かん、京都へや走らん抔大に狼狽し、破れ著物に尻切草履にて浅ましき有様なりしが、此者の兄に鎌田碩安といへる医師、京都姉小路に住居して、有栖川宮の御家来分也。




















此者世間にて云ふ大山師なり。此者享和・文化の頃は至つて貧困し、誰有りて彼が治療を受け候者もあらざりしかば、暴に寺を改宗し日夜六條なる本願寺へ参詣し、心にもあらぬ念仏を唱へ、一向専修の信心者の様をなして六條参せし愚蒙にして、何の弁別もなき相応の身元なる婆々・嚊をたらし込み、講中の睦びをなし仏法信者の様をなして、多くの人をたらし込み、年若き医師なれども至つて有難き御方なりと評判せられる工夫をなし、法談坊主の説法の如きは、少しく弁才ある者はいと易き事なるに、彼は元来医業にて山子せんと工みぬる程の者なれば、少しくは文字もありぬるにぞ。門徒の法談位は物の数にもあらざる故、口にまかせて有難咄をなし、涙を流して様子振りしかば、婆々・嚊の類ひ之に随喜し、有難き医師なり。鎌田殿々々々とてこれを尊敬す。本願寺又俗家にて、彼等が勤めぬる御再講・報恩講抔いへる席には遠方迄も参詣し、病人有る咄する人ある時、頼まざるに其家へ見舞ひ診察して薬を勧め、己が治療にて死する事あれば因果因縁を説き悟し、仏前に向ひ誦経して帰る。此山大に当りて後には志を得て、鎌田碩安と世間に名を知らるゝ様になりぬ。され共少しく心有る者、彼が所行を笑はざる者なし。山子の中にても至つて拙き業と云ふべし。

大西屋金蔵といへる謡曲屋、素より之と兄弟の事なれば、其手筋よりして有栖川宮へ取入り、大坂なる謡曲(うたひ)の弟子共の手筋より、富家の町人共を取込み、名目にて借し付くる銀主を拵ヘ、之を山子の種にして、大坂に於て宮の御屋敷を建てんとす。此事処々の町々に売家有りぬる事なれば、之を談じて其家を買求めんとすれ共、宮の蔵屋敷故、其町毎に年寄・町人、後年の患ひ町内の迷惑を思ひ計りて、何れも之を諾ふ者なきにぞ、大西屋金蔵も其山八九分成整ひ難きを患ひしと云ふ。

 


「米価調節と占買占売の禁制」その2/その4
「浮世の有様」大塩の乱関係目次3

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