| 有栖川家調達講の仕置 その1 |
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調 達 講 の 仕 置 |
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島 屋 理 右 衛 門 の 不 埒 |
米屋佐兵衛が前に年寄役を勤めし島屋理右衛門といへるは、此者の親父は玉水町嶋屋市郎兵衛手代なりしが、本家を守り立し功に依つて別家して、後本家よりして一家竝となりしが、斎藤町にて両替店を出し、之を商売とす。其子当時の年寄なり。此者大に身体を持崩し、諸人の金銀を取込み、門口を閉し、本家を相手に分家・別家の争ひをなして、本家へ対し不埒なりしかば、本家是を憤り、分家竝を取上げて元の別家とす。世間の人々の金銀多く取込し故、諸処・方々より町内へ引合入り、目安断る事なし。中にも大用町加嶋屋又兵衛は銀子五六十貫目取込まれ、何程に掛合ひ詰(なじ)れ共、聊も取敢ざる故大に憤り、手筋を求めて公議御八判を申下し、思も寄らず斎藤町へ御八判来のし故、嶋屋は云ふに及ずず町内大狼狽なりしが、忽ち御奉行所に双方共御召出にて御調べ有りしに、御八判の取次いたせし者に、又兵衛より多くの金子遣はせしやらんにて、何か怪しき事これ有りて、其申訳立難く、加嶋屋又兵衛は申すに及ばず、御八判持参せし者迄入牢し、両人共牢死す。其後に至りても島屋理右衛門 此頃は年寄役せし者は死去し其養子なり。之は眼科三井元寿が弟にて、此家に入家せいなり。
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