| 有栖川家調達講の仕置 その2 |
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後 家 傘 屋 梅 |
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近 江 屋 藤 兵 衛 の 不 埒 |
近江屋藤兵衛と云ふ乾物屋あり、此者四国・九州辺の商ひを専らにするにぞ、下よりの注文諸道具何に寄らず之を引受けて商ひす。故に太鼓・雪駄等迄の注文有りて穢多に取引有りしが、諸商人は云ふに及ばず穢多の代物迄取込み、後には南都の者の大楓子数十斤を取込み、之を質物に差入れて返さゞる故、其公事となり、南都より願ひ付となり、大楓子をば質屋にて其切を過ぎし故、之を流し売払ひぬ。其銀子調ひ難く、其折節大楓子に直段を持ち、質に置きし時よりも倍々の価となりしにぞ、大楓子を返せとて巌しく願ひ付くるにぞ、其工面出来難く、当人町預けと成り、町内の者共毎々南都へ引付けられ、後には人質の如くなりて 当人病気の由にて行かざる故なり。 彼地に引付けられ、盆も正月も彼地にてなし、町内大難義なる事凡一箇年計りも掛りしかと覚ゆ。此事漸く事済するや否や、肥前大村の城主大村上総介殿の金子数百金を取込み、大村より願ひ付けらる。是迄悪諸侯の町家の金を借込み、之をへたりて、町人共を困苦せしむる事は常の如くにて珍らしからざる事なれ共、町人の諸侯の金取込みしは此者計りなるにぞ、町奉行所に於て御咎蒙れる中にても、己れはえらき者なりと云はれしと云ふ。之等の事にて町内の難義例ふるに物なし。終に近江屋藤兵衛も斯かる曲者なれども、詮方なくして四国へ出奔せしと云ふ。之に於て彼が家屋敷を町内より大村へ引渡せる様に成りて、漸々と事済みぬ。
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