二十二日晴、今日山崎に於て大変有り。其故は伊丹酒造共大坂町奉行所より、「当年も米価高直にて、諸人困窮する事故、矢張当年も三分一の仕込にすべし」と申渡されしに、酒屋一統申合せ、「当年も斯かる年柄故、御国恩を思ひ奉る故、三分一を減少し、四分一の仕込に致すべき由」申出で、神妙の事なりとて賞美せられぬる程の事なり。之に悪徒共両三人申合せ、城州山崎八幡宮の御神領は、往古よりして守護不入の地なれば、酒家一軒有りと雖も八幡宮の神酒を造る由にて、無株にて何程造り出しても仔細なき事なれば、彼地に於て酒場を営み、過分の金儲けをせんとて七人計り申合せ、大なる酒場を七軒建連らね、一軒に五十宛の唐臼を居ゑ、近国より京都へ登せる米を一石に付、五匁宛の直上にて之を押へ、悉く買取り、七軒の者共昼夜の分ちなく酒の仕込をなせしにぞ、
京都にては米払底に及び、諸人大に難渋す。此事上聞に達し、京都より大勢捕手来る、六七十人計召捕へ引立て帰りしと云ふ。山崎役人共の中にも、袴著ながら引括られて連行かれしと云ふ。七軒の者共此処にて数万の酒を造り、伊丹へ運び取り、之を処の酒にして江戸廻しになし、大利を得んと謀りし事なりと云ふ。悪徒の所行憎むべし。何分にも世間騒々敷事なり。
十一月朔日未明より雨、未の下刻止む。夫より風吹く。今日北野辺にて人を欺き怪しき富を致す者共五十人計召捕られ、大騒動なりしと云ふ。
先月下旬より九條村に新川を掘抜き、海へ水を通せんと其催し有りて、御代官日々見分にて、其水筋に杙を打たせ、古田を潰し、百姓共へ其替地を下さる。其替地何れもよからぬ処故、百姓共何れも大に難儀すると云ふ。
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