十九日夜中雨、今日は昨年大塩が乱妨せし日に当れば油断成り難く、大塩平八未だ死せず、昨年油掛町にて殺されしは影武者なり、平八は加賀に在り、奥州に隠れし抔とて、種々の流言を言触らし、又昨年加賀侯を毒殺せんとせし者ありしが忽相顕れ、其掛りの者共誅せられ、侯には本国へ引取り頻に武備をなし、武具を買入れ、加・能・越三国の百姓共より、一人前に日日五足宛の草鞋を作らせて、一足六文宛に之を買上となり、金銀貸借は悉く徳政をなして、今にも軍の起りぬる様に専ら風説をなすに、又かゞ\/と云ふ節にて、怪しき唄大に流行す。之も加賀大乱の兆なりとて、江戸にて専ら取沙汰するにぞ、唄を謡ふ事忽ち御停止となりしと云ふ。然れ共大いに流行(はやり)し、追々上方へ流行り、京摂にても専ら謡ひぬる様になりて其評判をなすにぞ、京都にても此唄を停止せられしと云ふ。
又早春より芸州にも一揆起り、右火矢を打立て城近くまて押詰め、櫓抔打崩せし抔いへる噂之有りしが、こは虚説なりしと云ふ。侯の勝手差支へ藩札不通用となり、之が為に大いに騒動せしと云ふ事なり。
廿一日晴曇不定にて、未刻より大風吹きて砂石を飛ばす。
廿二日終日大風吹き、未明より時々雪降る。
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