諸候何れも平常の時さへ貧窮にして、大坂の町人を頼みて勝手向きの仕送りをなし貰ひて、漸々と参勤をなして公務をも勤る位の事なるに、此度臨時の物入出来せし事故、早々家来を大坂へ遣し、兼ねて館入をなす町人は云ふに及ばず、其余にも金持てる町人共へ金子借らんとて、種々に心を砕きぬれ共、町人の大家も多くは昨年大塩が難に逢ひぬる上、諸侯よりも飢饉にて差引無之、此度手積りをなし、夫々へ出銀致したる跡にて、公儀より御用金被仰付候ては、大坂の町人総潰れなるべしと、何れも身用心して之を諾はず。於江戸三井へ十万両、又当国にても此辺の大家へ二万両の御用金有り。何れ大坂は難逃とて専ら取沙汰なり。大差支大困難の事なるに、其中にて天神の砂持大流行にて、大坂中をあへかえし、鴻池善右衛門・加島屋作兵街・炭屋彦五郎、其余大家の主共手代引連、砂持に浮かれ出でて処々方々を踊り廻るに、蔵屋敷にても阿波の留守居・安芸の留守居等異形の様にて踊り歩行き、与力・同心の内にも異形にやつし砂持に出で踊りしと云ふ。かゝる程の事なれば、中人已下は一向に人倫なく、男女混雑して大いに浮れ廻れる中にも、女の赤裸にて踊り廻れる抔ありて、目も当てられぬ事共にて悉く狂人の如く、之を譬ふるに物なし。斯かる様なれば砂持の評判諸国へ聞え、国々より態々見物に出来りぬる者抔多く有りて、大騒動の事なりし。
|