Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.3.19

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「浮世の有様 巻之八」

◇禁転載◇

天神砂持の状況 その1

 










諸候何れも平常の時さへ貧窮にして、大坂の町人を頼みて勝手向きの仕送りをなし貰ひて、漸々と参勤をなして公務をも勤る位の事なるに、此度臨時の物入出来せし事故、早々家来を大坂へ遣し、兼ねて館入をなす町人は云ふに及ばず、其余にも金持てる町人共へ金子借らんとて、種々に心を砕きぬれ共、町人の大家も多くは昨年大塩が難に逢ひぬる上、諸侯よりも飢饉にて差引無之、此度手積りをなし、夫々へ出銀致したる跡にて、公儀より御用金被仰付候ては、大坂の町人総潰れなるべしと、何れも身用心して之を諾はず。於江戸三井へ十万両、又当国にても此辺の大家へ二万両の御用金有り。何れ大坂は難逃とて専ら取沙汰なり。大差支大困難の事なるに、其中にて天神の砂持大流行にて、大坂中をあへかえし、鴻池善右衛門・加島屋作兵街・炭屋彦五郎、其余大家の主共手代引連、砂持に浮かれ出でて処々方々を踊り廻るに、蔵屋敷にても阿波の留守居・安芸の留守居等異形の様にて踊り歩行き、与力・同心の内にも異形にやつし砂持に出で踊りしと云ふ。かゝる程の事なれば、中人已下は一向に人倫なく、男女混雑して大いに浮れ廻れる中にも、女の赤裸にて踊り廻れる抔ありて、目も当てられぬ事共にて悉く狂人の如く、之を譬ふるに物なし。斯かる様なれば砂持の評判諸国へ聞え、国々より態々見物に出来りぬる者抔多く有りて、大騒動の事なりし。

 






西の丸御焼失にて、大御所には仮の御住居にて御座します事なるに、上へも憚らず、近年飢饉にて四百十六文の米喰ひて、大に困窮せし事をば打忘れ、諸国の変を聞きながら百目の米を喰潰し、身の廻りには大に金銀を費し、踊り歩き飛廻れる有様、前代未聞の珍事怪しむべき事なり。

又閏四月中準の事なりしが、天神の砂持半ばに、前にも云へる所の彼の猫間川を掘りし土をも玉造稲荷の辺に持運ぶべしとて、阿波座・解船町へ命ぜられ、大勢行きて砂持をなすにぞ、石屋仲間・砂持仲間よりも追々に人を出し、何れも紅摺の衣服・縮緬の玉襷の揃にて、御加勢と印せし大幟を建連ねて、踊り廻れる有様騒々敷事なるに、御奉行・与力等見分の前をも憚らず踊りぬる事なりとぞ。斯様の事なれば時々喧嘩口輪等有りて、怪我人少からず死人等もあり。

然るに閏月廿一日大坂中の年寄を総年寄の宅へ相招き、三郷町々より一町毎に人足五人・踊り子五人宛猫間川砂持の御手伝に出でぬる様にとの内意有リ、すべて見聞する毎に、怪しむべき事のみなり。 〔頭書〕(猫間川を玉造へ切抜き、道頓堀川迄其流を通じ、船の往来自由に出来ぬる様になして、玉造繁昌なさしめん為なりとの表向の趣意なれ共、こは全く昨年大塩が乱妨せし時、大川を隔てし事故、天神橋を切落して御城へ近く事なりし故、南にも外堀を拵へ非常の備になさんとて跡部先生の墨付にて、夫となく其事を隠して町人共を悦ばしめて、密に之を計れるものならん。先生が昨年の大狼狽せし事を思へば、若しや乱妨するも〔の脱カ〕ありて、南よりして押寄せなばいかんとも為し難かるべしと、深く心配せらるゝ事ならんと思ひぬれば、可笑しき事になん思ひ侍べる。

昨年乱妨をなして大に騒動し、諸人をして困苦せしめたる所の大塩・能勢郡等の一件も今以其儘にて御仕置もなく、諸国より追々変を告げ参る時に当りて、如此有様、心之有らば大に恐れ思ふべき時節ならんか。

 


「天神砂持の状況」 その2
「浮世の有様」大塩の乱関係目次3

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