当三月安芸広島に大騒動有りし由、専ら風聞せしが、其後の噂に銀札不
通用にて百
姓共少々騒立ちし迄にして、事なく治りしと云ふ事なりしが、此
度或人よりして、其騒動の事を忠臣蔵といへる芝居の七段目(九カ)に見立てゝ、書記しぬる戯れ言を見せ
ぬ。之にて其騒動の実事をしるに足りぬれば、
其儘こゝに書附けて置きぬ。こは
安芸領内の者の作なりといへり。
大 序
家老有と雖も、職に付かざれば其味ひを知らず、国賊禄に蔓れば智勇兼備も隠るゝ習ひ、乱れたる世を幸ひに、逆意を振ふ役人の例を爰に書記す。されば諸国は米安し、頃は天保九年の春、上の御不徳四方に響き、あらゆる草葉喰尽し、万民塗炭の苦しみは、前代未聞の事なりける。されども執権関蔵人・今中大学・松野唯次郎、愈々奸智逞しく、厳命なりとも己等が心にそまねば、空吹く風人を芥の振舞は、うたてかりける次第なり。
|