宮島騒動の忠臣蔵作替 その5 |
---|
箱 根 の 火 災 |
|
|
川 越 の 火 災 |
同じく武州川越松平大和守城下失火有り。これも風至つて強く吹きしにぞ、以の外なる大火となり、市中残らず焼失せしと云ふ。近来は火事とさへいへば何れにても皆大火にて、焼失仰山の事なり。恐れ慎むべき時節と心得べし。 |
|
本 願 寺 の 強 欲 |
本願寺、持軍御代替りにつき拝礼、血判の為に江戸へ往来とも廻り道をなし、金儲けの為に所々を経巡り、富人は云ふに及ばず、婆々・嬶の銭金まで絞取つて帰りしと云ふ事なり。昔よりして怪有の宗門と云ふべし。 |
|
川 越 の 火 災 |
当年は閏月ありて時候おくれぬるとは云ひながらも、余りに寒過ぎる程にて、当月半に至れ共未だ綿入の重ね著をなす。され共麦の出来諸国一統に至つて宣しく、又諸侯にも西の丸御普請に付、過分の上納金する事なれば、何れも囲ひ米を多く売払はずんば、金の工面も六ケ敷からんといへる見込にて、米価も次第に下落の様子にて、肥後米一石九十三四匁、長州米一石八十八匁五分位となり、人気も大に穏になりぬるに、三月十一日頃よりは河内の道明寺・誉田八幡・藤井寺其外大和にても南都は申すに及ばず、所々に開帳ありぬるにぞ、何れも大に浮れ立ち、之に参詣する者引きも切らず。去る寅年の御蔭参の如し。 |
|