Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.7.17

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「浮世の有様 巻之八」

◇禁転載◇

長崎大火 その2

 


 ■*1

十三日晴申刻より曇、米価も追々下落して肥後米一石八十九匁五分、長門米八十三匁五分位となりしが又九十三四匁・八十七八匁位となる。

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当月十七日午の刻、江戸日本橋小田原町より出火にて、大に焼広がり、其夜子の刻に至り漸々と火鎮りしと云ふ。余程大層なる焼と云ふ事なり。
〔頭書〕十七日小湊御門下より焼出し、西南の風烈しく北に焼広がり、尾張・水戸等の屋敷前を過ぎて伝通院の裏手にて焼止り、小田原町よりの出火と一つになりし故、仰山に焼失せしと云ふ。此日御本丸 も奥御殿焼失す。され共此事は大に略して、其噂する事を厳しく御停止にて、若し其噂する者あれば召捕られてお牢す抔とて、種々の風説がましき事なりし。

 









当所に於は廿四日より天満天神の砂持始まる。晴天三七日の願の由、北の新地よりは石の鳥居を寄附し、青楼残らず遊女を出して之を引かしめ、老少男女の差別なく、種々の形をなして砂を持運び囃し立てゝ浮れ歩行く有様、何れも夢中の如し。軈て節季に至らば其夢忽ち覚めて、臍を噛んで後梅する輩も定めて多くありぬる事なるべし。先達てより大に浮かれ立ちて、我一に見物に行きし。彼の猫間川は素より辺土にて行詰りし処なれば、三月下旬よりしては、一向に行きぬる人とてもなくて、森の宮の開帳も参詣する者一人もなく、至つて淋しき事なりと云ふ事なり。

 
 


管理人註
*1 三一書房版にある文が欠落している。


「長崎大火」その1
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