来月十日より御霊宮に砂持始るとて、当廿日頃より此地一統に地車・囃子抔を出すとて、一統乱心の如く大騒に騒ぎ廻りて、町々毎に飛上の狼狽者共、軒別に銭を出せとて頻りに無理を言廻り、其人々の身分によりて、「廿十貫・十五貫・十貫・七貫・五貫・三貫・二貫・一貫宛出すべし」と云ひ、裏家にて三枚敷哀れなる家に住みて、人に雇はれ又は按摩抔する位なる極貧困の後家婆に迄も、五百文宛出せとて、不法の事に及ぶと雖も、町内にてこれを取締る事能はず、中にても尤甚しきは、靭油掛町は大塩を囲まひし美吉屋が町にて、未だ御仕置もなく当人夫婦は江戸に引かれぬれ共、子供等は丁内預けとなりて、厳重に番人を付けて之を守れる事なるに、公儀を憚らず此町より練物を出し、斎藤町は能勢郡一揆の発頭山田屋大助が町にて、是も未で裁許なく妻子町預け被仰付、番人を付けて厳重にこれを守れる事なるに、此町よりも地車を出す。公議へ対し恐れ入るべき事なるに、公議よりして是等の事御咎めなきも、亦其意を得ざる事なりと云ふべし。
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七日晴、今日初相場米の立替にて、加賀米二俵七十六匁也。又今日も悪徒両人、米価を狂はせんとて召捕れしと云ふ。
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