岩波書店 1940 より
序 説 |
中斎学説の第四は死生一貫なり。
人生に於て死生に拘泥するは最も大なる障礙なり。聖人と凡人との差もここに存するものなり。既に帰太虚を以て研学の第一となす、中斎に取りて死生の存在を認むる能はざるは自明の理なり。永生の境に入れる者にとりては、死生は不二なり。「吾れ嘗て謂ふ、未だ息を出さずして内に在るは生なり、既に息を吹いて外に出せば即ち死なり。身に就て之を視れば、生死は何の知り難きことか之あらん。此の悟りは本と程子の教誨を承領し来つて得たるものなり」と中斎はこれを説明せり。王子はこれを伝習録に於て、昼夜の別を以て説き、「良知の明万古一日」とも之を解けり。王子が良知は不生不死の本体なり、中斎が太極不滅と同一なり。又中斎曰ふ、
生を求めて仁を害することなし。夫れ生は滅あり、仁は太虚の徳にして而して万古不滅のものなり、万古不滅のものを舎てて而して滅することあるものを守るは惑なり。故に志士仁人は彼を舎てて此れを取る、誠に理あるかな。常人の知る所にあらざるなり――と。
王子三七歳龍場山中に於て死生一貫を悟得す、中斎の眼を此の点に致せる卓見と云ふべし。