Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.4.5

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『洗心洞箚記』 (抄)

その10

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

序 説

二 学風と学説 (5)

中斎学説の第四は死生一貫なり。

 人生に於て死生に拘泥するは最も大なる障礙なり。聖人と凡人との差もここに存するものなり。既に帰太虚を以て研学の第一となす、中斎に取りて死生の存在を認むる能はざるは自明の理なり。永生の境に入れる者にとりては、死生は不二なり。「吾れ嘗て謂ふ、未だ息を出さずして内に在るは生なり、既に息を吹いて外に出せば即ち死なり。身に就て之を視れば、生死は何の知り難きことか之あらん。此の悟りは本と程子の教誨を承領し来つて得たるものなり」と中斎はこれを説明せり。王子はこれを伝習録に於て、昼夜の別を以て説き、「良知の明万古一日」とも之を解けり。王子が良知は不生不死の本体なり、中斎が太極不滅と同一なり。又中斎曰ふ、

王子三七歳龍場山中に於て死生一貫を悟得す、中斎の眼を此の点に致せる卓見と云ふべし。


『洗心洞箚記』目次/その9/その11

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