Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.4.12

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『洗心洞箚記』 (抄)

その11

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

序 説

二 学風と学説 (6)

 中斎学説の第五は去虚偽なり。

 信なくんば民立たず、自ら欺かず、他を欺かざるのみならず、心上独知の境に於て虚偽を去る べしとは聖賢の既にいましめしところなり。自己に忠信なる生活をなすことは、吾人の精神生活 上必須の緊切事なり。中斎之を喝破して箚記の上に曰ふ、

更に曰ふ、

人欲を去り天理を心に見る境を、「心性晶亮広大与天地日月一般」とも説明せり。然して此境地は良知を致して太虚に帰入せる者にして始めて悟入し得る至善境、真美境なり。修練以て此の境に入らざれば、即ち徒学空談の類か。

 致良知を以て人生行路上の第一緊切事となす中斎にとりて、人欲を去ることは其の第一階梯なり。その除去の必要欠く可らざることは、彼の屡々力説せるところ、修練上致良知を妨ぐるものとして四知を挙げて「此の四知は賢者と雖も免れざる所あり、学に志ざすものは彼の四知の邪障を掃うて是の一知を明かにせざる可らず、故に某一語あり、曰く、邪障徹つて而して露光見はると、露光見はるれば則ち彼の四知皆融会して良知の用をなさざるはなし、良知も知覚聞見を廃するを得ざるなり」と、その除去を力説せるかくの如し。

 致良知を力説し、帰太虚を高唱する中斎は研学の最高目的として孝悌を拳げ、以て中斎学説の最高峯となせり。

 致良知は之を広義に解すれば、「孝弟也者其為仁之本」(論語)、又た孟子に曰ふ「堯舜之道孝悌而已矣」なり。我国に於ても中江藤樹は孝を万善の根本として崇信せるは周知の如し。中斎は曾て藤樹の致良知の真蹟に跋して曰く、

 中斎は道の至要を喜怒哀楽に、喜怒哀楽より仁義礼智に、仁義礼智より仁義に、仁義より孝弟に推本し、終に之を孝に帰入せしめ、更に不学不慮の良知に帰入して太虚霊明に合致せしむること左の如し。


『洗心洞箚記』目次/その10/その12

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