Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.5.17

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『洗心洞箚記』 (抄)

その16

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

本 文

箚記跋

同門の友嘗て吾が師中斎先生の箚記二巻を家塾に刻す、而て今や将に之を世に伝へんとす、其の義は則ち先生の自述に在り、而て復た誠之等に命じて之を跋せしむ、誠之質鈍にして材劣、之に加ふるに不文を以てす、何ぞ敢て先生の書を汚さんや、然れども師門に親炙すること凡そ十年なり、先生の出処進退及び其の学術の変化純熟見て之を知る者誠之等に如(し)く者なし、故に又た之を余人に譲る能はざるなり、是を以て遂に拝手して跋して曰く、

鳴呼先生の嘗て仕路に在るや、謹慎・廉潔・風節・徳威。諸(これ)を天地神明に質(たゞ)して愧(は)ぢざるものなり、其の衙長を佐(たす)けて以て強を抑ヘ、弱を救ひ、邪を挫き、正を扶く、人は過激と謂ふと雖も、然れども宿弊立どころに(はら)はれ、積蠧(せきと)直ちに減ぶ、功を明に建て、而て化を幽に延ベ、忠を国に尽し、而て孝を家に致し、身名両つながら全し、富貴栄寵を貪らずして勇退せり、諸を若水銀公諸先輩に較(くら)ぶるに如何ぞや、

人皆以為(おもへ)らく是れ其の天資聡明果毅の決に出づと、而て未だ嘗て其の学問の力に在るを知らざるなり、夫れ先生嘗て学に志す時、海内の儒風乃ち委靡(ゐび)し、訓詁にあらざれば即ち文詩、躬に孝悌忠信を行うて以て後進を導く者は未だこれあらざるなり、故に先生亦た其の(くわきう)に陥ること久し、一旦古本大学を読んで、而て其の誠意致知の旨を黙識神了せり、実に陽明王子と曠世の下異域の外に相契(あいけい)するものなり、非か、藤樹・蕃山・執斎三子の後、其の緒本邦に絶ゆること既に百幾十年なり、而て先生独り悟れり、則ち豈亦た不伝の学を継ぐ者にあらざるか、藤樹の徳行、蕃山の才学、執斎の篤信、皆王子の一体を具(そな)ふと雖も、然れど良知の奥を闡(せん)明するは、則ち三子必ず当に我先生に遜(ゆづ)ること二三歩なるべし、何となれば先生向(さき)に世儒の臼に陥ると雖も、然れども六経四子及び史乗の類研究せざるなく、関濂洛(くわんびんれんらく)諸賢の源委の如きは、尤も淹貫(えんくわん)すと為す、而て後百慮千計以て姚江(えうこう)諸子の書を購ひ、上は銭・王・黄・陳・欧・鄒より、下は明季清初の大儒に迄(およ)び、皆以て渉猟講摩すること一朝一夕にあらず、故に其の微旨奥義を得ること固より論ずる無し、又た其の瑕瑜病疵(かゆへいし)の由つて在る所を洞看すること、必ず夫(か)の三子より深きものなるか、山陽頼翁先生に寄する詩に曰く、君を号して当(まさ)に小陽明と呼ぶべしと、翁は自から史を以て居る者なり、因つ て此れ諛言(ゆげん)にあらざるを知るなリ。

故に吾れ曰く、仕路の民功、勇退の隠操、皆是れ学問の力に得るなりと、且つ先生常に言ひて曰く、意見情識を掃ふの苦功を用ひずして、而て徒に常凡の発見・意欲を(ざん)するものを指して、而て漫(みだり)に良知を語るものは、蓋し泰(たい)州の王学にして、而て越中の王学にあらざるなりと、故に先生の学、独を未発已前に慎み、以て痛く意見情識の良知を害するものを掃ふ、故に其の極は太虚に帰するにあり、夫れ太虚は則ち良知自然の明なり、此れ是の(めうしよ)は、言語見解の能く及ぶ所にあらざるなり、箚記は乃ち其の致仕後書する所、而て五倫五常より経済・兵務・文学・按芸の緊要に迄(いた)るまで、尽く載せざるなし、然れども皆之を太虚に括(くゝ)れり、

之を太虚に括る、而て五倫・五常・経済・兵務・文学・按芸あること此の如くんば、則ち豈仏ならんや、豈老ならんや、因つて誠之謹みて之を考ふるに、太虚良知は一のみ、其の公にして私無き処、即ち太虚なり、其の霊にして昧(くら)からざるの処、即ち良知なり、而て其公ならず霊ならざる所以のものは、皆夫(か)の意見情識の欲之を蔽ふなり、宜(うべ)なるかな先生云々せるや、

故に吾人の其の欲を去るに於ては、猶礦(くわう)の冶に在り、璞(はく)の攻に在るが如きなり、気質を変化するの義あり、死生を一にするの義あり、虚偽を去るの義あり、而て真に反求せば、即ち之を去り之を変化し之を一にして、而て之を蔽ふ者尽く散ぜん、是に於て其の公と霊とは乃ち全く現はる、猶金の冶(や)を出で玉の攻を経るがごとし、而て其の精采光色は、固より外鑠(ぐわいしやく)するものにあらざるや、断じて疑ひ無し、もし反求せずして、而て徒に篤信を以てするのみならば、則ち善学にあらざるなり、之等の如き者、果して能く虚偽を去ることを得んや否や、果して能く気質を変化することを得んや杏や、果して能く死生を一にすることを得んや杏や、

之を口にすと雖も、而も之を躬にする能はずんば、実に師教に叛き、而て師門に益無し、

鳴呼世の豪傑の士、先生の声を聞いて、而て未だ其の面の心とを知らざる者、一たび是の書を閲せば、即ち必ず期せずして合ひ、約せずして契ること、尤西川(せいせん)の王子に於ける如きものあらん、是れ誠之等が夢想して敢て一日も懐に忘れざる所のものなり。

 時に天保乙未夏四月

                     門人松浦誠之撰

   【原文(漢文)略】


『洗心洞箚記』目次/その15/その17

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