Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.7.12/2011.2.13最新

玄関へ

大塩の乱関係史料集目次
大塩の乱関係論文集目次


『洗心洞箚記』 (抄)

その21

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

附録抄

  大塩君子起座前              斎藤謙再拝

津藩の斎藤謙再拝して白す、
(さき)の大阪府従事大塩君足下、謙鴻名(こうめい)を熟聞し、交を左右に納れんと 欲するの日久し、
今足下謬(あやま)つて人言を信じ、書を敝邑の社友に抵(いた)し、盛に称誉せられ、因つて其の著はす所の洗心洞箚記を寄せて以て鄙言(ひげん)を徴せらる、謙未だ敢て通を足下に求めず、
而て足下反つて来つて謙に求む、
謙の幺麼(えうま)何を以て此を足下に得るや、足下の功名事業は当世稀なる所、其○○を殄滅(てんめつ)し、○○を沙汰し、○○を誅除し、○○を賑恤する如き、此一有るも則ち能吏と称するに足る、况や一身兼ねて之を行ふ者をや、
此方州○○或は能はざる所、足下○○○を以て之を能くし、綽(しやく)として余裕あり、
三都より以て諸州に達し、皆目を刮して圜視(くわんし)し、舌を吐いて駭歎(がいたん)す、
或は風を聞いて起る者これあり、
名声隠然として天下を動かせり、
足下事を執る纔に数年のみ、
乃ち能く赫々たること此の如し、又幾先に明らかに未だ強仕ならざるの年を以て、足を急流中に抜き、退いて潜処し、徒を聚めて講習し、得失を以て懐に掛けず、
一出一入、神龍の変化する如し、
豈毅然たる大丈夫ならざらんや、
某平生史伝を読み、足下の如き者に遇ふ毎に、反復誦読し、其の人を千載の上万里の外に尚友(しやうゆう)し、其の心胸面目如何なる人なるかを想像し、見るを得べからざるを以て歎ずることを為せり、
今其の人近く畿甸(きてん)に在り、世を竝べて処り、往いて見るベく、就いて聞くべし、
又た来つて下交を辱くす、
某の喜知るべきなり、某嘗て謂ふ士徒に生きず、功を世に施し、名を後に伝へ、而て後可なるのみと、
既に褐を釈(と)いて儒職に在り、日々(てんひつ)を事とし、親しむ所は筆硯、接する所は小子後生にして、平生抱負する所一も施行するを得ず、
或は虚名士大夫の間に伝はるも亦た言語文字の末に過ぎず、徒に慙愧(ざんき)を増すのみ、
近年来幡然(はんぜん)として慮(りよ)を易ふ、
以為らく士の功名を成すは、位を得時を得るにあらざれば則ち不可なり、
今吾れ一价(かい)の書生にして社稷民人の責あるにあらず、是に於て為す有らんと欲す、
是れ位を出づるなり、且つ謂はゆる功名なるもの又本有り源有り徳性の謂なり、
子思云はずや、徳性を尊んで而て問学に道(よ)ると、吾れ其れ益々養うて之を尊ばんのみ、益々勤めて之に道(よ)らんのみ、
学既に成り、徳既に立ち、然る後位を得時を得れば、挙げて之を功名事業に措くこと何があらんと、
常に此を以て自から期し、又以て人に期す、
足下の功名の如きは高し偉(ゐ)なり、
某既に下風に聞いて而て仰望せり、
今又た其の著はす所の書を観るに、実に能く徳性を尊んで問学に道れり、
乃ち知る従前の功名は、本あり源あり、(はる)かに雑覇者の為す所に別なり、
而て学の無用に帰せざる、又た釈老に異なり、信に及ぶべからざるを、但だ足下の学問余姚に途(みち)す、
此の書一たび出づれば、世の古学を奉ずる者、朱学を奉ずる者、必ず足下と○○、是れ区区末学の弁のみ、足下を病ますに足らざるなり、
某亦た何ぞ敢て喙(かい)を容れんや、
某私(ひそ)かに謀る、 今秋を以て大阪に詣(いた)らん、
相見る将に日あらんとす、
復た一一せず、
即辰猶熱す、
統て道の為めに自重せられんことを祈る。
斎藤氏は津藩の侍読なり、俗名は徳蔵。

   【原文(漢文)略】


『洗心洞箚記』目次/その20/その22

大塩の乱関係史料集目次
大塩の乱関係論文集目次

玄関へ