Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.7.19

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『洗心洞箚記』 (抄)

その22

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

附録抄

 某某丈         牧園猪

本月初六(しよりく)、恵音(けいいん)至り、興居佳勝の状を審かにす、
欣喜欣喜、而て大塩先生洗心洞箚記二巻附録一巻を致され、敬(つゝし)んで之を領す、
岡本花亭翁嘗て屡々大塩君の吏事を称す、
余是を以て大阪に大塩君あるを知る、
然り而て翁は唯だ其の吏事を称し、未だ其の学業に及ばず、
今此の箚記を読み、始めて先生の学術、宋明の諸賢に淵源し、而て学識徳行、正大宏遠、誠明公亮の○○儒なるを審かにせり、
陸王二公の学の如きは、世儒排擯(はいひん)して以て禅門の流と為す、
我が藤樹蕃山の後、其の学を唱ふる者甚だ蓼蓼(れう\/)たり、
先生断然として其の学を尊信し、天下有用の最と為すに似たり、
且つ其の他論説する所、皆一時の鍼薬(しんやく)にして、奇見卓識一世に超然たり、敬服敬服、蹇劣(けんれつ)余の如き者と雖も、其の風を聞いて奮然興起せざるを得ず、
実に先生の大恵なるかな、余素(も)無以(むじ)、吾子(ごし)妄(みだり)に先生に称道し、而て此の大恵(たいけい)あり、
余誠に感戴し謝する所を知らざるなり、
明年余将に西還せんとす、
爾時(そのとき)先生に就いて其の賜(たまもの)を拝せん、
是を以て今般敢て書を先生に奉ぜず、
請ふ吾子(ごし)僕の 為めに其の大恵を奉謝し、丁寧千万なれ、
敢て嘱す、
岡本花亭翁は東都の名家にして、尤も詩に長ぜり、
昔年朝鮮聘使の役に従うて対馬に至ること再びせり、
朝鮮人甚だ其の詩を歎称すと云ふ、
今事を辞して閑散、往往先生の事を称せり、
先生も亦た或は之を知るあらんか、今将に此の箚記を示さんとす、翁の喜知るべきなり、
請ふ吾子併せて諸を先生に報ぜよ、
亦嘱する所なり、不宣(ふせん)
牧園氏は柳川藩儒官 なり、俗名は進士。

   【原文(漢文)略】


『大塩平八郎伝』 その68


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