Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.7.26

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『洗心洞箚記』 (抄)

その23

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

附録抄

 洗心洞先生座前            杉本祐憲

平祐憲(たいらのすけのり)頓首再接拝して中斎大塩先生の梧下(ごか)に白(まう)す、
前日富獄に登り大虚を呑吐するの余興、玉趾を僻地に労し、寒第を光顧せらる、
感佩(かんはい)何ぞ極まらん、
(つゝし)んで以(おも)ふ長途虞(ぐ)無く、闔宅(かふたく)履吉ならん、
至恭至喜、爾後宜しく専函鳴謝すべし、
其れ旧(あ)崇(たゝり)を為すを奈(いかん)せん、
大に相鼠(しようそ)に恥づるあり、
君子寛仁、原宥(げんいう)是れ祈る、
唯是病物(びようぶつ)格(たゞ)し難く、不才実に酔生し、漫(みだ)りに天年を保(ほ)し、而て夢死隣を為す、
斯文を瞻仰(せんぎやう)するの念、一息未だ絶えず、
先生の徳業を景慕すること此に年あり、
衰躬(すいきう)堂階に謁するも能はざるも、苟も誠の(おほ)ふべからざるや、
辱くも愚衷を察し、過臨して且つ箚記二冊附録一冊を恵捐(けいえん)せらる、
感言ひ尽すべきに非ず、
感言ひ尽すべきにあらず、
語旧因に及ぶ、
亦た宿縁未だ朽ちず僕駑下(どか)にして此の隆情を荷ふを幸とするなり、
実に邂逅相遇ひ、我が顧に適(かな)ふ、
千載一隅なるかな、
爾時(そのとき)驚喜の至り、病思愧(きぢく)、措詞問をを失ふを知らず、
悵恨(ちやうこん)更に良(まこと)に深し、
箚記中口授の説の如きは、知らず再問何れの歳を期せんか、
但だ是れ繙閲(ほんえつ)して手より釈(よ)く能はず、
猶日日芝宇に接するごとし、
附録を読んで先生の壮志履歴を審かにし、本録を読んで竊に造詣の深造、識見の高大を歎ず、
致良知の旨に於ては、燦然著明、青天白日なるかな、
其の太虚に帰するの説は、何ぞ其れ直切愉快、活撥撥地たるや、昔者王鳳洲・龍渓先生に答ふる書に云ふ、
陽明先生醍醐を点出す、
然れども久しく之を服し、仍(な)ほ以て酪と為せり、
翁再び一点破せしより人の咽喉の間をして甘露の快を作(な)さしむと、
僕亦た謂ふ先生の指点は咽喉の間を待たず、
先づ唇舌をして甘露の美を知らしむ、
但だ是れ此の甘露の美、徒らに快活を覚え而て未だ真に之を喫する能はず、
心疾沈痼、病物固より未だ格(たゞ)す能はず、
良知未だ致すを得ず、
(はぢ)を負ふこと万千なり、
然りと雖も苟も仰慕の誠あるなり、
君子不能を矜(あは)れみ、此の教を与(あづか)り聴かば、何の幸か之に加へん、
実に千載の一遇なるかな、
下愚の一得、固より(ばく)たり、或は文字上の疑問は、特に他日録して左右に質さんとす、
老朽狂愚、尚衛武より少(わか)きこと三十余年、幸に大教を吝(を)しむ勿れ、
簡に臨んで悚慄(しようりつ)、懇祷(こんとう)任ふるなし、

八月二十九日、平祐憲謹んで再拝す。

杉本氏は御室宮の家士なり、俗名は主税。

   【原文(漢文)略】


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