Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.8.23

玄関へ

大塩の乱関係史料集目次
大塩の乱関係論文集目次


『洗心洞箚記』 (抄)

その27

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

附録抄

  洗心洞箚記を読む     浅井仲倫

吾子致仕の後、盆々心を聖学に潜め、王氏良知の学を唱ふ、
業を受くる者衆し、
愚曾て謂ふ、
道は常に存して人は常に存せず、入の存する所は、道の存する所なりと、
今吾子是(かく)の如し、
則ち是れ人の存する所乃ち道の存する所にあらざらんや、
(このご)ろ書を著はし題して洗心洞箚記と曰ふ、
故有つて贈を辱(かたじけ)なうす、
愚尽く通ずる能はずと雖も、玩索して粗(ほゞ)得るあり、書中天道あり、人道あり、
淑匿を旌別するの意、及び大小の論説、心を尽くし理を窮め、本邦の儒者未だ発せざる所多し、蓋し人をして夫(か)の人欲の私を去つて、而て其の天理の公を存せしめんと欲するなり、
学の洽博(かふはく)は古今を網羅し、文の新寄は事情に切近し、超然たる気象は文辞に溢れ、読者快然たり、
其の力学勉行の本源あるを察すべし、
愚竊に吾子の識量を料るに、謂はゆる○相の器にして、而て○ 門四科の列たり、
宜なるかな、
諸侯大夫より、以て士庶人に至るまで、其の名を聞いて其の徳を 尊ぶや、是れに由つて之を観るに、其の書亦た必ず久しからずして天下に顕はれ、学者看て以て其の身を修むることを得、
○○採つて以て其の政に施すあらば、則ち吾子の志達して聖門に功有りと謂ふべし、
仄かに聞く、
吾子の祖先某君、駿侯今川氏の○○たり、
今川氏の亡ぶるや、遂に松平甲蔵・本目権左衛門・尼崎衛門八の薦めを以て参州岡崎に至つて贄(し)を委(ゐ)す、
小田原の役、敵将足立勘平を刺殺するの功あり、
乃ち御弓を賜ひ復た采地を賜ふ、
其の事乃ち詳に家譜に見ゆ、
其の後尾国に臣属す、
而て其の子孫以て今に至る、
其の季子某、元和年間分れて本府の騎吏と為る、
吾子は乃ち其の後なり、
吾子職を奉ずるの日、特に擢用せられ、屡々大獄を治め、淹滞を救ひ、不軌の輩を○○す、
人其の剛直を憚り、其の明断に服す、
然るに一朝翻然致仕して家居す、
夫れ人の道たるや、仕進を以て本と為し、退隠を以て末と為す、不審(いぶかし)吾子年未だ四十ならず、
而て退隠を甘んじ、教援を以て楽と為すや、愚嘗て之を思惟す、
吾子の祖先本と華冑(くわちう)にして、而て吾子は乃ち隷士胥吏と与に伍を為す、
是れ不満の意あつて然るか、
抑々玉を抱いて下僚に沈み、驥足を展ばす能はず、
是を以て決然退隠し、書を著はして志を(の)べ以て前賢と其の趣を同じうするか、
然れども今佐藤氏に贈る所の書を看るに、吾子志学の年より、志三変し、而て確然孔孟の道に帰し、富貴も淫せず、威武も屈する能はざるの意あり、
愚の量る如きは、乃ち官情を以て之を量るなり、
吾子の処するや、道徳を以て之に処するなり、
是を以て此の齟齬あり、
而て吾子の志を尚(たか)うするや益々顕はる、
佐藤氏の答書到れるや否や、吾子之に告げ良師友無きを以て、恨と為す、
乃ち五十六十にして志弛(ゆる)まざらんと曰ふの説、愚漫(みだ)りに之を案ずるに、吾子の学術は既に熟せり、
才鋒は弥鋭し、誰か能く吾子の右に在つて、而て以て良師友たるべきものぞ、
それ唯だ四書五経あり、以て良師友たるべきのみ、
五十六十にして志の弛むや、或は性に好不好あり、或は気禀(ひん)昏弱、或は志卑苦にして道行ひ難き者の為す所か、
吾子の剛明なる、道に遵うて行はゞ、則ち何ぞ之を以て憂と為さんや、
○○○○亦た言ふあるや否や、佐藤氏及び○○の答あらば、則ち請ふ示せ、
而て其の書を勢廟神庫に献じ、復た富嶽○○に納むと聞けり、
於戯(あゝ)是れ誠心天に告げ、諸(これ)を鬼神に質(たゞ)して繆(あやま)らず、
百世以て聖人を俟(ま)つて凝はざるの意なるか、大なるかな志や、
道を体する者にあらずんば、それ誰が能く是の如くならんや、
吾れ年老い眼昏(く)らし、筆を走らす能はず、
然れども今斯の書を読み、甚だ吾子の志を盛とし、而て深く心に感ずるあり、
吾れ愚なりと雖も豈数字の文以て之を記すること無かるべけんや、
書中論ずる所、利欲粉拏(ふんだ)の流俗援(ひ)き難きを知ると雖も、卓然として立言し以て後世に伝ふるものは、蓋し吾子一人なるのみ、
(か)の豪傑の士は、文王無しと雖も猶興るの言の如きは、其れ吾子の類か、独り吾子の考妣(かうひ)をして其の成立を視せしめざるを恨む、且つ吾が輩徒に草木と与に朽ちて老死を以て分と為すを恥づるのみ、
今吾れ吾子を称嘆する所以のものは、則ち道を尊び徳を敬する所以なり、
則ち他人をして之を聞かしむと雖も、それ高し、以て能く斯(こゝ)に至れり、
冀くは体気を保愛し以て英才を教育し、来者をして斯(こゝ)に先後する所を知らしめんか、
庸劣を顧みず、敢て固陋の情を録し、以て案右に呈し、且つ謹みて著書を贈らるるの謝意を伸ぶ。
浅井氏は俗名太一郎、本府の騎吏にして致仕す、即ち後素の外舅。

   【原文(漢文)略】


石崎東国『大塩平八郎伝』 その4
相蘇一弘「大塩の乱の関係者一覧」597 浅井岩之丞


『洗心洞箚記』目次/その26/その28

大塩の乱関係史料集目次
大塩の乱関係論文集目次

玄関へ