Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.10.18

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『洗心洞箚記』 (抄)

その35

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

附録抄

 大塩君子起尾張に適くを奉送する序  頼襄

方今海内の勢三都に偏す、 三都の市皆尹(いん)あり、 而て大阪最も劇にして且つ治め難しと称す、 蓋(けだし)地大府に濶絶し、而て商賈の窟する所と為り、 富豪廃居し、王侯其の鼻息を仰いで以て憂喜を為すに至る、 尹の来り治する者、更迭常ならざれば、乃ち属吏子孫に襲(つ)ぎ、 故事を諳(そら)んずること掌故の如し。 而て尹之が成を仰ぎ、成は賄を以てし、上を蠹(と)し、下を浚へ、 猾賈(くわつこ)に結び、閭閻(りよえん)に延(およ)び、 黠民爪牙(かつみんさうが)、と為る、 乃ち藩服の要人或は之が支党と為り、声気交通するに至る、 尹心に之知る、 而かも主客勢懸し、苟傍観(こうとうばうくわん)す、 吏に良ありと雖も、衆寡敵せず、浮沈容を取るのみ、 近時に至るに及んで、乃ち吾が大塩子起あり、 吏の羣(ぐん)に奮ひ、独立撓(たゆ)まず、克(よ)く其の姦を治め、 国家の為めに二百余年の弊事を(のぞ)くと云ふ、 蓋し上に高井君の尹たるあり、 能く子起を用ひ、子起以て其の手足を展ばすことを得たるなり、 子起の始めて密命を受くるや、自から事済(な)らば国を補し、 済らざれば家を破らんことを度(はか)る、 家に一妾あり、之を出して累する所なからしめ、 然る後籌(ちゆう)を運(めぐ)らし策を決し、 親信を指呼し、発摘意外に出づ、 其の封豕(ほうし)長蛇たる者を斃(たふ)し、 首を駢(なら)べ戮(りく)に就かしめ、内外股栗(こりつ)す、 乃ち其の贓を挙げて三千余金を得たり、 曰く、是れ民の膏血(かうけつ)なりと、 尽く之を小民に給す、 因つて煢独(けいどく)を振済する法を建つ、 事己丑(きちう)の春に在り、 是よりさき丁亥妖民の蕃教を持する者を治め、 尽く種類を抉(けつ)す、 庚寅又た浮屠の(を)行者を汰(だ)す、 先づ戒勅を申(かさ)ね悛(あらた)ざる者は 流竄し、群邪屏息(へいそく)す、 京幾の諸衙、風を承(う)け、 貪墨を黜(しりぞ)け公廉を奨(すゝ)むるに至る、 此の時に当つて子起の能名三都の間に震ひ、 其の名を呼んで以て相(じゆつ)するに垂る、 而て今茲(ことし)七月高井君老を告げ代らんことを請ふ、 子起(た)つて曰く、君退かば吾焉ぞ敢て独り進まんと、 遂に意を決して退かんことを力請し、允(ゆる)さるるを得たり、 聞く者驚愕せざるなし、 野人頼襄あり、 独り曰く、子起固より当に然るべし、 然らずんば以て子起と為すに足らざるなり、 吾れ知る彼れ其の心壮にして身羸(るゐ)、 才通じて志价、功名富貴を喜(この)む者にあらず、 喜む所は間に処(を)り書を読むに在り、 吾れ嘗て其の精明を過用し、鋭進折れ易きを戒む、 子起深く之を納(い)る、而かも已むを得ずして起ち、 国家の為めに奮つて身を顧みざるのみ、 然らずんば安(いずく)んぞ能く壮強の年、 衆望翕属(きふぞく)の時に方(あた)つて、 権勢を奪去し、毫も顧恋するなからんや、 唯然り、 故に其の任用せらるゝに当つては、請託を呵斥(かせき)し、 苞苴(はうしよ)を鞭撻し、凛然として之を望む者をして、 寒氷烈日の如くならしめ、以て此の効を成すを得たるのみ、 故に子起を観るに、其の敏に於てせずして其の廉に於てし、 其の精勤に於てせずして其の勇退に於てす。 聴く者以て然りと為す。 子起家系尾張に出で、同族在り、 今将に往いて之を省せんとす、 身名両(ふたつ)ながら全く、国に報い、家に報ゆ、 其の先墳を拝する、 以て告ぐるあるべきか、 時方(まさ)に秋なり、 龍田に路(みち)し、中瀑に過(よ)ぎり、 還つて高雄栂尾(とがのお)の諸勝を討(たづ)ねんと欲す、 (こう)を脱するの鷹、(しゆ)を卸(しや)するの馬の如し、 其の俊気健力を余(あま)し、自から空に撃ち、野に騁(は)す、 快(くわい)如何ぞや、 (ことさら)らに此れを言ひ、 且つ預(あらかじ)め其の再びに就きに就く勿らんことを嘱するなり、 文政十三歳庚寅に在り秋九月。

   【原文(漢文)略】


石崎東国『大塩平八郎伝』 その44


『洗心洞箚記』目次/その34/その36

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