岩波書店 1940 より
序 説 |
致良知は王子陽明教説の三字符にして、良知の外に知なく、致良知の外に学なしとさへ称され王子が朱子学の格物窮理説に困惑し、五溺を経たる後、龍場の一悟に「聖人の道は吾性に具足す、さきに理を外物に求めしは過てり」との境に至らしめ、心即理の宣明となるに至らしめしものなり。王子は「知是理之霊処」と曰ひ、又た「知是心之本体。心自然会知。見父自然知孝。見兄自然知弟。見孺子入井。自然知惻隠。比便是良知。良知之発。更無私意障礙、即所謂充惻隠之心。而仁不可勝用矣。然在常人。不能無私意障礙。所以須用致知格物之巧勝私腹理。即心之良知更無障礙。得以充寒流行。是致其知。知至則意誠」と曰へり、今之を中斎に窺はん。
中斎に依れば、良知は天地の徳が各自方寸の中に宿れるなり、然れども人欲方寸を蔽へば、良知はために其の光明を失ひ、流行を妨げらる、若し人欲を払拭し良知の体を全うせば、聖賢となり仁者となるものなり、比の意を述べて曰く。
只幸とする所は、天地の徳性方寸の虚に舎る、故に其の独りを慎んで其の虚を塞がざれば、則ち徳性の一知乃ち大君となり、四知(知覚、聞見、情識、意見)を使用し以て祟りをなさざらしむ、是を聖賢といふ、是を君子といふ、是れを仁者知者といふ、――と。
又中斎は周濂渓が太極図説に於て、万化の基として「無極の真」てふ語を用ひたるを藉りて、
更に中斎は良知を世界の実在と見、「良知は天を生じ、地を生じ、仁を生じ、義を生じ、礼義を生ずるの主宰なリ」とも解明せり。然して王子が伝習録に「良知は造化の精霊、天を生み、地を生み、鬼神を生む」といへると其符を一にす。