山田準『洗心洞箚記』(本文)103 Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.12.7

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『洗心洞箚記』 (本文)

その103

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

    わうきよ                ばん 一三〇 横渠先生曰く、「教を受くるの心あれば、蠻  はく          おさ  貊と雖も教ゆべし。道を為むる既に異なれば、党類                      と雖も相謀り難し」と。是の言先生必ず懲るるあつ   しか  て爾云ふ、而て党類相謀り難きに至るは、則ち我れ                   じ が      はさ  固より同胞の仁ありと雖も、而も彼れ爾我の心を挟  んで、既に小人に陥る、故にかくの如し。賢聖に在  つても、未だ其の分隔の憂を兎るゝ能はざるなり。  而も况や我が輩に於てをや。然りと雖も自ら反して      以て仁の未だ熟せざるものと為し、而て真に心を尽     さき           まゝ  さば、の相謀り難きもの、亦た間化に帰するもの  あらん。而も又た甚だ難き所なり。人の仁を半途に          まど  舎つるは、是に於て惑へる故なり。   横渠先生曰、「有教之心、雖蠻貊教、   為道既異、雖党類相謀」是言先生必有懲   云爾、而至党類難相謀、則我雖固有同胞之   仁、而彼挟爾我之心、既陥於小人、故如此、   在賢聖其分隔之憂也、而况於我輩   乎、雖然自反以為仁之未熟、而真尽心、則   之難相謀者、亦間有化者、而又所甚難   也、人之舎仁乎半途、於是焉惑故也、



横渠。宋の学
者張載、前出蠻貊。南蠻北
狄。

論語に「道同
じからざれば、
相為めに謀ら
ず」とあり。

爾我。汝は汝、
我れは我れと、
分け隔てをする。


孟子告子上篇
に「仁も亦た之
を熟するに在る
のみ」とあり。

化に帰す。我
が仁の感化に帰
服す。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その102/その104

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