山田準『洗心洞箚記』(本文)162 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.7.29

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『洗心洞箚記』 (本文)

その162

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

               めいばう 一〇 呂新吾先生曰く、「古人は名望相近ければ則   あひう  こんじん           ねた  ち相得。今人は名望相近ければ則ち相妬む」と。  あゝ  吁、其の相妬むや、一点の利心あるを以てなり。                 くわ    たい  一点の利心は、碩学鴻儒をして、化して妾婦の態  を為さしむ。則ちそれ亦た恐るべきものなり。故   どうち  に童穉学に入る時、其の心を去らしむるは、惟だ         せめ           こう  是れ教ゆる者の責のみ。惟だ是れ学ぶ者の工のみ、      いご  而て文字唔は其の余事なり。   呂新吾先生曰、「古人名望相近則相得、今人名   望相近則相妬、」吁、其相妬也、以一点利   心也、一点利心、使碩学鴻儒、化為妾婦態、   則其亦可恐者也、故童穉入学時、令其心、   惟是教者之責耳、惟是学者之工耳、而文字唔   其余事也、


呂新吾。呂坤、
明末の学者、呻
吟語を著はす、
前出相得。親密。

妾婦の態。媚
を売る娼婦の態
度の意。




唔。唔に
作る、読書の声。


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