山田準『洗心洞箚記』(本文)166 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.8.2

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『洗心洞箚記』 (本文)

その166

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

一四 問ふ、書を読みて然る後良知を致すやと。曰           すなは  く、否。書を読むは便ち是れ良知を致すなり。   問、読書然後致良知乎、曰、否、読書便是   致良知也、      いたん 一五 二氏異端と雖も、其の教を設くる意は、則ち  固より亦た善を長じ悪を消するのみ。故に其の説          まゝ  の道に合するもの間これあり。然るに猶異端を以                    けうあい  て其の道に合ふものを取らざれば、則ち狭隘にあ            すうとうくわく  らざらんや。善い哉、鄒東廓先生の説、曰く。           げん  「吾が儒の教は、三間の正堂の若し。聖聖相伝へ、  さいそう          おこ        洒掃以て世業と為す。聖人作らず、而て堂に祖無                 さ      くわく  し。老氏其の左角に入り、天を指し地に画して曰              しやく  く、此れ吾れの堂なりと。釈氏其の右角に入り、  天を指し地に画して曰く、此れ吾れの堂なりと。           げんぜん  是に於て堂中の人、眩然として迷乱し、而て其の  真を知らず。後の儒者、聖人の道を恢復せんと欲                  さいそう  せば、則ち亦た入つて中堂に居り、洒掃して以て                     其の旧に復せば可なり。乃ち其の左を割いて以て  老に帰し、其の右を割いて以て釈に帰し、聖人の  堂遂に決裂して完からず。葢し二氏の言、其の道                       もと  に合するものは、固より吾が儒の道なり。経に払      そむ            へん  りて道に畔くに至るは、則ち居る所の偏にして、         以て大中を履み、而て至正に由る無きを以てのみ。  しか おほむ  而もね指言して以て老釈の道と為し、其の道に            きんき       をせん  合ふものと雖も、一切禁忌し、相汚染するがごと  く然り。是れ吾が地を割き、吾が兵糧を棄て、盗       こう  に借して之が攻を助くるなり」と。鳴呼、先生の    こうせいくわつだい          しんしや  説、公正濶大、陽明先生に親炙して、心太虚に帰               なん  するにあらずんば、其の卓見爰ぞ此に至らんや。   二氏雖異端、其設教意、則固亦長善消悪   也已矣、故其説合道者間有之、然猶以異端   不其合道者、則非狭隘乎、善哉、鄒東   廓先生之説曰、「吾儒之教、若三間正堂、聖   聖相伝、洒掃以為世業、聖人不作、而堂無   祖矣、老氏入其左角、指天画地曰、此吾之   堂也、釈氏入其右角、指天画地曰、此吾之   堂也、於是堂中之人、眩然迷乱、而不其   真、後之儒者、欲復聖人之道、則亦入居   中堂、洒掃以復其旧可矣、乃割其左以帰   老、割其右以帰釈、而聖人之堂、遂決裂而   不完、葢二氏之言、其合道者、固吾儒之道也、   至於払経而畔道、則以居之偏、無以   履大中、而由至正焉耳、而指言以為老   釈之道、雖其合道者、一切禁忌、若相汚   染然、是割吾地、棄吾兵糧、借盗而助   之攻也、」鳴呼、先生之説、公正濶大、非   親炙陽明先生、而心帰乎太虚、其卓見爰   至乎此哉、




書を読む云々。
読書窮理は致良
知の仕事なり。








二氏。老子の
道教と仏教。





鄒東廓。王陽
明の高弟、前出三間正堂。三
室の表座敷。

祖。本尊と云
ふに同じ。


















経に払り云々。
正経に逆ひ悖り、
正道に背き反す
るやうになるの
は、左角右角の
偏に処り、虚無
寂滅に拘はり、
仁義の大中至正
に由らぬを云ふ。

禁忌。禁止し
忌み嫌ふ。


之が攻云々。
助けて我を攻め
させる。


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