山田準『洗心洞箚記』(本文)167 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.8.4

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『洗心洞箚記』 (本文)

その167

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

   げんばう 一六 言貌の文のみなれば、則ち君子は親信せず。  而て情と誠とあれば、則ち言貌の文なしと雖も、  必ず之を親信するなり。況んや其の言貌に見はる        るをや。呂新吾先生曰く、「情足らず、而て之を  かざ  文るに言を以てす、其の言親しむべからざるなり。           かざ  誠足らず、而て之を文るに貌を以てす、其の貌信  ずるに足らざるなり。是を以て天下の事真を貴ぶ。   おほ  虞掩ふべからずして、而て之を言貌に見はす、そ                    あゝ  れ親しむべく、信ずべきなるかな」と。吁、是の  言や、人を知るの鑑なり。   言貌之文而已、則君子不親信、而有情与誠、   則雖言貌之文、必親信之也況其見於言   貌乎、呂新吾先生曰、「情不足、而文之以   言、其言不親也、誠不足、而文之以貌、   其貌不信也、是以天下之事貴真、真不   掩、而見之言貌、其可罪可信也夫、」吁、   是言也、知人鑑也、




言貌の文。言
葉と容貌とを美
しくかざる。

呂新吾。前出


『洗心洞箚記』(本文)目次/その166/その168

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