山田準『洗心洞箚記』(本文)168 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.8.5

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『洗心洞箚記』 (本文)

その168

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

            じやう 一七 理と時と勢とは、皆上の為す所なり。豈天と         かんぶん          けんじやう  云はんや。而て漢文は明君と雖も、大臣に謙譲し、      而て識者の言世に益あるを用ひず。則ち理と時と  勢とをして全く天に任ぜしめ、而て以て自から任             ちかう  ぜざるものなり。其の治效三王と同じからざるは、  葢し此に在り。而て賢を以て世に称せらる、則ち                   こ        ひ  亦た猶士の聖学に志さず、而て世に媚びて以て非                  りくしやうざん  刺せらるる無き者のごときなり。故に陸象山先生    きやうげん         けん  之を郷愿と謂ふ、是れ見なきにあらず。而て世儒                     へん  其の説の意外に出づるに驚き、却て先生を貶して、  だう/\ぜん        あ ゝ  然として説を立つ。嗟夫、是れ亦た郷愿なる  かな。   理与時与勢、皆上之所為也、豈天云乎哉、   而漢文雖明君、謙譲於大臣、而不識者   之言益乎世、則使理与時与勢全任于天、   而以不自任者也、其治效与三王同、葢   在此矣、而以賢称乎世、則亦猶如士不   志於聖学、而媚於世以無非刺也、故   陸象山先生謂之郷愿、是非見、而世儒   驚其説之出于意外、却貶先生然立   説、嗟夫、是亦郷愿也哉、


上。天子。

漢文。前漢の
孝文帝。

識者。賈誼。







陸象山。南宋
の名儒、前出郷愿。一郷に
謹厚の名を取れ
る偽君子。論語
陽貨篇に「郷愿
は徳の賊なり」
とあり。

。喧しく
言ひ合つて騒ぐ。


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