山田準『洗心洞箚記』(本文)182 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.8.26

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『洗心洞箚記』 (本文)

その182

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

   わうきよ 三三 横渠先生曰く、「人多く貧賤に安んずと言ふ、                     えいくわく  其の実は只だ是れ計窮り力屈し、才短く、営画す            やゝ  る能はざるのみ。もし稍動き得れば、恐らくは未                      ぎ り  だ肯て之に安んぜざらん。須らく是れ誠に義理の  利欲より楽しきを知つて乃ち能くすべし」と。是   かだう        どうけん  れ仮道学者の情を洞見するものと謂ふべし。而て         もの     たしな          う  動字を味ふに、物・我が嗜む所と、我が餒うる所             きよたい  とに触るれば、則ち固より虚体にあらざるを以て、              りんでき          ぢんぞく  之が為めに動かされ、而て淪溺して亦た塵俗と為  る。古より今に至るまで、其の人少からず。故に  吾が輩宜しく真に義理を楽しみ、以て実に利欲を       しか  忘るべし。否らざれば則ち未だ動者前に到つて、               而て貧賤に安んじて其の自若たるを知るべからざ  るなり。   横渠先生曰、「人多言於貧賤、其実只是   計窮力屈才短、不営画耳、若稍動得、恐   未肯安之。須是誠知義理之楽於利欲也   乃能、」是可見仮道学者之情矣、而   味動字、物触乎我所嗜与我所餒、則以   固非虚体、為之所動、而淪溺亦為塵俗、   自古至今、其人不少、故吾輩宜真楽義理、   以実忘利欲矣、否則未動者到乎前、   而安貧賤其自若焉也、


横渠。張載、
前出営画。経営画
策。






仮道学者、似
非学者の意。


虚体。太虚の
体、饑餓嗜欲の
念あれば虚なら
ず。







自若。本のま
まに平然。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その181/その183

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