山田準『洗心洞箚記』(本文)233 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.10.30/10.31修正

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『洗心洞箚記』 (本文)

その233

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

   はん             えき   じや ふせ 八七 茫文正公曰く、「易に曰く邪を閑いで其の誠           おもひよこしま  を存すと、孔子曰く、思邪なしと、則ち是れ人の  身を治むる、誠を以て本と為し、而て戒むる所の  者は、邪を以て急と為す。恙し心を正し意を誠に             どうさ きよそ せい  して正を存すれば、則ち動作挙錯正にあらざるは       なし。四体に充ち、面目に発し、以て望んで其の  正人為るを知るべきなり。苟も心を正しうし意を                 けいやうどうさ  誠にせずして邪を存すれば、則ち形容動作亦た皆  正しからず。四体に充ち、面目に発し、以て望ん                   こうばう  で其の邪人たるを知るべきなり。国の興亡に至り  ても、亦た正と不正とを以てす、況や人に於てを       あ ゝ               しやう  や」と。鳴呼、公文武の材徳を兼ね、出でては将      しやう くんげう        しせき  へいえう  入つては相の勲業を建つ、此れ其れ史籍に炳燿せ                      うべ  り。朱子之を称して第一流の人物と為せるは宜な                 り。而て其の材徳勲業、之を総ぶるは一誠に外な                    らざるなり。而て其の誠や、中庸より得来る。又     わうきよ     さづ  た之を横渠先生に授く、横渠は是れに由つて終に                    えんげん  太虚の宗を開けり。則ち公の学は、其の淵源する  所亦た深からずや。   茫文正公曰、「易曰、閑邪存其誠、孔子曰、   思無邪、則是人之治身、以誠為本、而所   戒者、以邪為急、恙正心誠意而存乎正、   則動作挙錯無正也、充於四体、発於面   目、可以望而知其為正人也、苟不心   誠意而存乎邪、則形容動作亦皆不正、充   於四体、発於面目、可以望而知其為邪   人也、至於国之興亡、亦以正与不正、況   於人乎、」鳴呼、公兼文武之材徳、建出将   入相之勲業、此其炳燿乎史籍矣、朱子称之   為第一流人物、宜也、而其材徳勲業総之不   外一誠也、而其誠也、従中庸得来、又授   之横渠先生、横渠由是終開太虚之宗、則公   之学、其所淵源、不亦探乎、


茫文正公。宋
の名臣茫仲淹、
字は希文、仁宗
の時、参知政事
に進む、文正と
謚せらる。

邪云々。易の
文言伝に出づ、
閑は防ぐなり。

論語為政篇に、
「子曰く、詩三
百、一言以て之
を蔽ふ、曰く思
邪なし」とあり。

四体。両手両
足。












中庸の下半部
は至誠の説を以
て充たさる。

張載。横渠先
生と称す、前出。
年二十一の時茫
仲淹に見ゆ、仲
淹勧めて中庸を
読ましむ。西銘
等の著あり、太
虚を力説す。


『洗心洞箚記』(本文)目次/その232/その234

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