山田準『洗心洞箚記』(本文)235 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.11.2

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『洗心洞箚記』 (本文)

その235

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

   しう                かよく 八九 周子曰く、「孟子曰ふ、心を養ふは寡欲より                       巻きは莫し。其の人と為りや寡欲なれば、存せざ  る者ありと雖も寡し。其の人と為りや多欲なれば、  存する者ありと雖も寡しと。予謂ふ、心を養ふは  すく  寡なうして存するのみに止らず、盖し寡なうして      以て無に至る。無なれば則ち誠立ち明通す。誠立                      せいせい  つは賢なり、明通するは聖なり。是れ聖餐は性生  にあらず、必ず心を養うて之に至る。心を養ふの             かく  善、大なるものあること此の如し。其の人に存す                ぷく           たい  るのみ」と。周子の此の語を三復すれば、則ち太 きよくづせつ  極図説の、之を定むるに中正仁義を以てして、而   せい         じんきよく        て静を主として人極を立つるの義、此れに加ふる    莫し。何となれば、心を養うて以て無に至る、則  ち無欲なり。無欲は即ち静なり。誠立ち明通すれ  ば、則ち仁義は皆是れ其の事実のみ。是の故に誠  明の外別に中正仁義あるにあらざるなり。而て聖  賢となれば、則ち其の心既に太虚に帰す。太虚は  即ち無極の謂なり。無極は即ち亦た人極なり。是  の故に聖賢の外別に人極あるにあらざるなり。是                    とうくわつ  れに由つて之を観れば、則ち太極図説は統括され  て皆此の語の中に在り。故に人の聖学に志ざす者、  無に至るを以て的と為し、而て実功を下せば、則   げんこう  ち元公の人品為る能はずと雖も、又た必ず明道・                伊川の下風に立たん。もし明道・伊川の下風に立           き     さい       ちうひつ  つことを得ば、則ち亀山・上蔡等と即ち儔匹たり。         よくろ            いづれ    よくろじやう  然らば則ち彼の欲路上の大英雄に孰与ぞ。欲路上                     しう  の大英雄は、志を一時に得ると雖も、而も醜を千            やぶ         ゐ   こ  歳に流し、父母の名を毀り、禽獣の為を踰ゆ。三              せつし  尺の童子と雖も、其の悪に切歯す。而て無欲上の                べうてい  じうし  人は、亀山・上蔡と雖も、或は廟庭に従祀され、     きようけん さいきやう  或ひは郷賢に祭饗せられ、身を一時に困むと雖も、       かゞや        かうじやう ふしよく  徳を万世に輝かし、而て綱常を扶植するの主と為    れいめい  り、令名其の父母に及べり。而るを況や明道・伊  川をや、而るを況や元公をや。愚夫婦は固より論       てい         えら  なし。眼に一丁を知る者は、宜しく択びて志を立                      もく  て、以て無欲上の人と為るべし。而て世之を目し           これ  て迂と為す。然れども諸を古今に推し、之を天地   たゞ             に質せば、則ち誠に智にして迂にあらず。其の此                 なん ひすう  の言を為す者は、真愚のみ、亦た奚ぞ比数するに        あ ゝ       せいこう  足らんや。鳴呼、無欲は聖功なるかな。


周子。周敦頤、
濂渓と号す、前
出、其の言、遺
文養心亭説に出
づ。

孟子の言。尽
心下篇に出づ。

存と不存とは、
本心に就ていふ。












前述の説に過
ぐるなし。



















元公。周子の
謚。

明道は程、
伊川は程頤、兄
弟なり。

楊時、亀山と
称す、程子兄弟
に学ぶ。謝良佐、
上蔡の人、上蔡
先生と称す。程
子兄弟に学ぶ。

欲路上。私欲
を馳せ功名な逐
ふもの。

廟庭云々。孔
子の廟庭に従祀
し、郷賢の祠に
祭らる。





一丁。丁は个.
即ち箇、一箇の
字を知る者、个
と丁と篆文相似
る、何れの時よ
りか、个が丁と
なる。



比数。くらべ
数へる。


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