山田準『洗心洞箚記』(本文)238 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.11.9

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『洗心洞箚記』 (本文)

その238

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

                   九一 周子曰く、「誠は聖人の本なり、大なるかな  けんげん      と         げん  乾元、万物資りて始むとは、誠の源なり、乾道変                 こゝ  化して、各々性命を正すとは、誠斯に立つなり、               純正至善なるものなり、故に曰く、一陰一陽之を           道と謂ふ、之に継ぐものは善なり、之を成すもの        げんかう     つう         りてい  は性なりと、元亨は誠の通ずるなり、利貞は誠の  かへ                えき  復るなり、大なるかな易や、性命の源か」と。又       まこと              もと  た曰く「聖は誠のみ、誠は五常の本にして、百行          む         ゆう  の源なり、静は無にして動は有、至正にして明達                  ひ      じや  くら  なり、五常百行、誠にあらざれば非なり、邪は暗   ふさ               し い  く塞がる、故に誠なれば則ち事無し、至易にして         くわ     かく  行ふこと難し、果にして確なれば難きこととなし、        おのれ         かへ  故に曰く、一曰己に克ち礼に復れば、天下仁に帰                   き  ぜんあく  す」と。又た曰く、「誠は為す無し、幾に善悪あ  り」と。又た曰く「寂然動かざるものは誠なり、                       あら  感じて通ずるものは神なり、動いて而かも未だ形                き             くわ  はれず、有無の間なる者は、幾なり、誠なれば精                  めう  し故に明かなり、神なれは応ず故に妙なり、幾な         いう     せいしん き  れば微なり故に幽なり、誠神幾を聖人と曰ふ」と。  謹みて之を考ふるに、周子は天成なりと雖も、而       えき  も其の学は易と学庸とを合せて以て誠に至れり。               りやう  故に此の誠の字は終に其の本領たり、而て此れ独  り周子然りと為すのみにあらず、古の聖人皆亦た               もと      然り。故に曰く、誠は聖人の本なりと。又た曰く、  聖は誠のみと。而て此れ独り古の聖人然りと為す                    のみにあらず、天も亦た然り、故に曰く、乾元万     物資りて始むるは、誠の源なりと、鳴呼、天や、  古聖人や、周子や、誠を以て体と為す、故に万物  皆太虚の誠に出づるなり。五常百行、皆聖賢太虚  の誠に出づるなり。是の故に賢愚となく学に志ざ              じゆんてき  せば、則ち断じて是れを以て準的となせば、則ち かうそう              じやけいきよくろ  ふ  康荘大道上を行くの人にして、而て邪径曲路を踏  む者に非ざるなり。而て其の成不成は亦た命なる  のみ。君子は命を云はず、只だ義を以て主と為す、               これ  則ち誠を以て準的と為す、義焉より大なるは莫し。  陽明先生曰く、大学の要は誠意のみと、此を以て                きは     こう  なり。而て程・朱敬に居り理を窮むるの工は、要           するに亦た誠に帰するのみ、豈他あらんや。而て             へき へだ  其の学者静坐す、其の子壁を隔てて書を読むも、    きんだ        さつ  はうちやく  其の勤惰を知らず、或は冊子上に放著して、心を                    へい  治むるの工を知らず、是れ皆其の末学の弊なり。         いづく         たうせんあん  程朱の学にして安んぞ之あらんや。故に湯潜菴先  生曰く、「宋儒敬を主とするを言ふ。陽明は学者          はうしゆ  が一の敬字に執著呆守するに過ぎて、反て是れ不                  ていせい  敬なるを恐る、故に人に只だ良知を提醒するを教              くら  ゆ」と。吾れ謂ふ、良知を昏うせざるものは敬な  り、敬の執著せざる所のものは良知なり。要する           じゆんてき       に誠に帰するを以て準的となす。而て問学には則  ち敬を主とすと曰ふも亦た可なり、良知を致すと           しか           はくがくかうぶん  曰ふも亦た可なり。否らざれば則ち博学浩聞は、       こつじ           そうれい こん  即ち門外の乞児なり。反観内省は、即ち葱嶺の    徒なり。豈道を学ぶと曰はんや。


周子の語。通
書に出づ。

周易乾卦彖伝
の語。

周易繋辞上伝
の語。






通書に出づ。










論語顔淵篇に
見ゆ。

通書に出づ。



通書に出づ。















前出。


前出。


前出。









誠を以て。

康荘。康は五
達、荘は六達の
道路を云ふ。






程子朱子は居
敬窮理を学問
の標的となす。

程朱一派の学
者が静坐して隣
室に書を読む小
児の勤惰を知ら
ずとは学者の迂
を譏るなり、近
思録に見ゆ。

放著。書物の
上に心を打込む
こと。

湯潜菴。清初
の儒湯斌。前出呆守。呆は痴
と同義、馬鹿(ば
か)律儀に守る。




問学には云々。
程伊川の語。



葱嶺。印度の
山名。達磨の禅
を指す。

徒。頭髪を
剃りたる僧侶。


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