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九一 周子曰く、「誠は聖人の本なり、大なるかな
けんげん と げん
乾元、万物資りて始むとは、誠の源なり、乾道変
こゝ
化して、各々性命を正すとは、誠斯に立つなり、
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純正至善なるものなり、故に曰く、一陰一陽之を
つ
道と謂ふ、之に継ぐものは善なり、之を成すもの
げんかう つう りてい
は性なりと、元亨は誠の通ずるなり、利貞は誠の
かへ えき
復るなり、大なるかな易や、性命の源か」と。又
● まこと もと
た曰く「聖は誠のみ、誠は五常の本にして、百行
む ゆう
の源なり、静は無にして動は有、至正にして明達
ひ じや くら
なり、五常百行、誠にあらざれば非なり、邪は暗
ふさ し い
く塞がる、故に誠なれば則ち事無し、至易にして
くわ かく
行ふこと難し、果にして確なれば難きこととなし、
● おのれ かへ
故に曰く、一曰己に克ち礼に復れば、天下仁に帰
● き ぜんあく
す」と。又た曰く、「誠は為す無し、幾に善悪あ
り」と。又た曰く「寂然動かざるものは誠なり、
● あら
感じて通ずるものは神なり、動いて而かも未だ形
き くわ
はれず、有無の間なる者は、幾なり、誠なれば精
めう
し故に明かなり、神なれは応ず故に妙なり、幾な
いう せいしん き
れば微なり故に幽なり、誠神幾を聖人と曰ふ」と。
謹みて之を考ふるに、周子は天成なりと雖も、而
えき
も其の学は易と学庸とを合せて以て誠に至れり。
りやう
故に此の誠の字は終に其の本領たり、而て此れ独
り周子然りと為すのみにあらず、古の聖人皆亦た
● もと ●
然り。故に曰く、誠は聖人の本なりと。又た曰く、
聖は誠のみと。而て此れ独り古の聖人然りと為す
●
のみにあらず、天も亦た然り、故に曰く、乾元万
と
物資りて始むるは、誠の源なりと、鳴呼、天や、
古聖人や、周子や、誠を以て体と為す、故に万物
皆太虚の誠に出づるなり。五常百行、皆聖賢太虚
の誠に出づるなり。是の故に賢愚となく学に志ざ
● じゆんてき
せば、則ち断じて是れを以て準的となせば、則ち
●かうそう じやけいきよくろ ふ
康荘大道上を行くの人にして、而て邪径曲路を踏
む者に非ざるなり。而て其の成不成は亦た命なる
のみ。君子は命を云はず、只だ義を以て主と為す、
これ
則ち誠を以て準的と為す、義焉より大なるは莫し。
陽明先生曰く、大学の要は誠意のみと、此を以て
● きは こう
なり。而て程・朱敬に居り理を窮むるの工は、要
き
するに亦た誠に帰するのみ、豈他あらんや。而て
● へき へだ
其の学者静坐す、其の子壁を隔てて書を読むも、
きんだ さつ ●はうちやく
其の勤惰を知らず、或は冊子上に放著して、心を
へい
治むるの工を知らず、是れ皆其の末学の弊なり。
いづく ●たうせんあん
程朱の学にして安んぞ之あらんや。故に湯潜菴先
生曰く、「宋儒敬を主とするを言ふ。陽明は学者
●はうしゆ
が一の敬字に執著呆守するに過ぎて、反て是れ不
ていせい
敬なるを恐る、故に人に只だ良知を提醒するを教
くら
ゆ」と。吾れ謂ふ、良知を昏うせざるものは敬な
り、敬の執著せざる所のものは良知なり。要する
じゆんてき ●
に誠に帰するを以て準的となす。而て問学には則
ち敬を主とすと曰ふも亦た可なり、良知を致すと
しか はくがくかうぶん
曰ふも亦た可なり。否らざれば則ち博学浩聞は、
こつじ ●そうれい ●こん
即ち門外の乞児なり。反観内省は、即ち葱嶺の
と
徒なり。豈道を学ぶと曰はんや。
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●周子の語。通
書に出づ。
●周易乾卦彖伝
の語。
●周易繋辞上伝
の語。
●通書に出づ。
●論語顔淵篇に
見ゆ。
●通書に出づ。
●通書に出づ。
●前出。
●前出。
●前出。
●誠を以て。
●康荘。康は五
達、荘は六達の
道路を云ふ。
●程子朱子は居
敬窮理を学問
の標的となす。
●程朱一派の学
者が静坐して隣
室に書を読む小
児の勤惰を知ら
ずとは学者の迂
を譏るなり、近
思録に見ゆ。
●放著。書物の
上に心を打込む
こと。
●湯潜菴。清初
の儒湯斌。前出。
●呆守。呆は痴
と同義、馬鹿(ば
か)律儀に守る。
●問学には云々。
程伊川の語。
●葱嶺。印度の
山名。達磨の禅
を指す。
●徒。頭髪を
剃りたる僧侶。
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