● ●とうぐ ふく
一三七 陽明先生曰く、「唐虞以上の治は、後世復
●
すべからざるなり、之を略して可なり。三代以下
のつ けづ
の治は、後世法とるべからざるなり、之を削つて
た
可なり。惟だ三代の治は行ふべし。然り而て世の
三代を論ずる者、其の本を明らかにせずして、而
て徒の其の末を事とす、則ち亦た復すべからず」
てき
と、謹んで按ずるに、先生体を明らかにし用に適
だいがくもん こゝ
するの大学問、此に於て又た知るべし。何となれ
ば、先生三代上下の治を略して、而て三代の治を
●しゆうかん だん
取る。則ち其の志周官に在ること、断じて知るべ
し。其の三代の治を曰ひて、而て周官と曰はず、
われ し
然るに予何を以て其の志周官に在ることを識るぞ。
● か つ
周公は三王を兼ねんことを思ひ、夜以て日に継ぎ、
幸にして之を得たりと云ふ。則ち三代の礼楽、刑
とうくわつ
政、統括されて皆周官に在り、故に其の周官を指
せること益々信ずべし。其の其の本を明らかにせ
ずして、而て徒に其の末を事とせば、則ち亦た復
すべからずと曰へるは、則ち誠意慎独、豈其の本
たらざらんや。故に誠意慎独を外にして以て之を
●それいしやく ●くわくぐじよ
行はゞ蘇令綽が如き、未だ其の民をして驩虞如た
かう/\
らしむる能はず、何ぞ況んや如に於てをや。
●わうけいこう
而も王荊公の如きは、則ち特に国を富ますの利心
か あみ
を以て、仮りて以て之を行ふ、則ち其民を網し下
さら かこく うべ
を浚ふの苛刻に陥りしは宜なり。要するに皆其の
本を明らかにせずして、而て徒に其の末を事とす
とが ●
るの咎のみ。而も荊公の如きは、周官の罪人たる
おこ
を免れんと欲するも得んや。故に凡そ善政を起さ
んと欲する者は、先づ宜しく慎独誠意以て明徳を
こゝ しん
明らかにすべし。而て其の本此に立たば、則ち親
みん ちくだん
民の治功逐段挙らん。此れ独り大学の工夫のみに
そうえう ●わう
あらず、周官の総要と雖も亦た只だ此れのみ。横
きよ ●あひおもむ
渠先生の謂はゆる「民をして相趨くこと骨肉の如
やす ●
くならしめ、上の人は赤子を保んずる如く、人を
はか おのれ
謀ること己の如く、衆を謀ること家の如くせば、
おのづ でんせい さん
則ち民自から信ぜん」とは、是れ周官の田制を賛
しか きうきやう き
するの言なれども、而も究竟大学の誠意慎独に帰
き
す。因つて大学と周官と、其の帰一たるを知るべ
これ
し。周官が昔の大儒に尊ばるるは此を以てなり。
つね ●こん
我れ故に毎に言ふ、大学の慎独は、即ち周官の崑
ろんみんざん かうか
崙岷山なり。周官は乃ち大学慎独の江河なり。崑
いづく ゆうよう
崙岷山なければ、則ち焉んぞ江河有用の水あらん
● うつそく
や。江河無ければ、則ち崑崙岷山泉源を鬱塞して、
を
終に無用の汚と為らん。是の故に慎独以て明徳を
した
明らかにし、以て民を親しまば、則ち周官の良法
めいめいとく ほう
善政、皆明明徳中の事にして、而て別に周官の法
あ も
度なるもの者有ることなきなり。若し別に之れあ
りと云はば則ち周官の良法善政と雖も、亦た是れ
はしや ぎ
覇者の偽のみ。陽明先生の三代以後の治を取らざ
けだ
るは、葢し周官慎独を以て本と為すと相反するを
つね ●
以ての故なるか。而も先生毎に文中子を称するに
は いづ ぞく
賢儒を以てす、其の意将た何くにあるぞ。其の続
けい
経に在らずして、而て其の周官を尊びしに在り。
しよう きよくぜ む び
文中子周官を称して以て王道の極是と為し、夢寐
にも之を行はんと欲せり。又た其の言に曰く、
じじよう かみ
「吾れ千歳而上を視るに、聖人の上に在る者、未
し
だ周公に若くものあらず。其の道は則ち一にして、
けいせい そな な ●じじゆん
而て経制大に備はる。後の政を為す者、持循する
ところあり」と、文中子云ふ所の「其の道は則ち
一」とは、先生云ふ所の本を明らかにせざるの本
にして、而て即ち亦た慎独の独なり。経制・慎独
すなは
に出づ、便ち是れ王道にして、而て文中子の願ふ
所なり、先生も亦た願ふ所なり。故に吾れ謂ふ、
先生文中子を指すに賢儒を以てせるは、必ず其の
●
周官を尊びしに在り。而て先生象祠の記に曰く、
「諸侯の卿は天子に命ぜらる、葢し周官の制にし
● しやう はう なら
て、其れ殆んど舜の象を封ぜしに倣へるか」と。
是れを以て之を観れば、則ち一部の周官は、先生
ゆうくわ ●ほかふ たいてい●
の胸中に融化す。而て其の保甲の制は、大抵司徒
ひりよぞくとう そんえき ね や べうい
の比閭族党を損益せり。士を練り軍を行り、苗夷
せいさう ●しんがう
を征勦し、宸濠を平治せしが如きは、則ち人皆以
そんご ●かくわん
て孫呉の余智に出づると為し、而て其の夏官大司
にぎ さんご さくそう
馬の法を握つて、参伍錯綜以て之を変化し、而て
あ ゝ
慎独に出でしことを知らざるなり。嗟乎、真に良
いた ●へんたいこううしや うかゞ
知を致すの大学問は、偏滞拘迂者の能く窺ふ所に
あらざるなり。
|
●此語伝習録徐
曰仁録に出づ。
●唐虞。堯舜。
●三代。夏殷周。
●周官。周礼に
同じ、四十二巻
あり、周公旦の
作と伝ふ、天地
春夏秋冬に象り
て官制を立て職
掌を記し、王道
的治法を巨細網
羅す。
●周公は云々。
孟子離屡篇下篇に、
「周公は三王を
兼ね四事を施さ
んを思ふ」とあ
り、三王とは禹
湯文王武王とを
云ふ。
●蘇令綽。蘇綽
字は令綽、北周
の宇文泰に仕へ
て、制度を改め、
周官の政治を行
はんとせり。
●驩虞如。孟子
に覇者の民は驩
虞如たり王者の
民は々如たり
とあり、前者は
歓欣、後者は和
楽の意。
●王荊公。宋の
王安石、字は介
甫、荊公に封せ
らる、周官の治
法に志あり、諸
種の新法を行ひ、
却て騒乱を来た
し、遂に失敗に
終れり。
●周官の罪人。
周官を誤用して
周官に累を及ぼ
す、是れ周官の
罪人。
●横渠。張横渠、
前出。
●相趨。互に扶
け合ふ。
●骨肉。兄弟。
●人を謀る。人
の為めに謀る。
●崑崙岷山。黄
河は崑崙山より
出で、楊子江は
岷山より出づ、
周官は慎独より
出づ。
●泉源云々。水
源が山中に鬱塞
して、無用の汚
水池となつて終
る。
●文中子。隋の
王通、字は仲淹
門人謚して文中
子と曰ふ、六経
続篇を輯せしも
伝はらず、今文
中子一部を伝ふ、
伝習録徐曰仁所
録に「文中子は
賢儒なり」と曰
へり。
●持循。持ち従
ひて行ふ。
●象祠。舜の弟
象の祠。其の記
文、王子の全集
に収めらる。
●舜の云々。舜
が不良の弟を封
じて監護の官を
附す、周官はそ
れに倣うて諸侯
の卿わ天子より
命ずといふ。
●保甲。王子江
西に在り、民兵
を選び十家牌法
を行ふをいふ。
●司徒。周官の
地官の長を司徒
といふ、邦教を
掌る、五家を比
となし五比を閭
となす云云とあ
り、王子其法を
斟酌(損益)し
て保甲法を案出
すといふ。
●宸濠。明の王
族にて江西省南
昌に封せらる、
王子其叛乱を平
ぐ。
●夏宮大司馬。
周官の夏官の長
を大司馬といふ、
邦政を掌り邦国
を平かにす。
●偏滞拘迂。か
たより執滞し、
かゝはり迂闊。
|