山田準『洗心洞箚記』(本文)71 Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.9.28

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『洗心洞箚記』 (本文)

その71

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

上 巻訳者註

      ちようさい        ひんぎよ    つかさど 九一 周官の冢宰は、飲食貸財及び嬪御の制を掌る。  則ち君徳を修むるを似て第一義と為すなり。然れど                        も第一義にあらず、此れ皆多く其の成長位を践む後            せんくわもくだう  の事なり。而て東宮を潜化黙導する者は、其れ惟だ            しびんかう       しゆうせい  一の師氏に在るか。其の至敏孝の三徳は、即ち修斉  治平の本なり。儒たる者は斯の義を知らざるべから       しか  ざるなり。否らざれば則ち世に用ひらるると雖も、            のこ        だ よ  惟だ末を事として本を遺す、要は王荊公の唾余に帰           せんのみ。故に先儒其の末を事として本を遺す者を   こ        くわんしよりんし  懲らし、以て関雎麟趾の意あつて、然る後に周官の  法度を行ふべしとなす。これ周官の定論の如しと雖                        しびん  も、而も定論にあらざるなり。何となれば則ち至敏  かう  孝の三徳は、それ亦た関雎麟趾の源なり。其の源な  くば、則ち其の流何ぞよく澄清を為さんや。故に吾   つね  れ毎に曰く、周官の制度に本づいて以て法を立て君  を導かずんば、則ち関雎麟趾の徳成り難しと。非か。   周官冢宰、掌飲食貨財及嬪御之制、則以君   徳第一義也、然非第一義矣、此皆多其成長   践位後之事、而潜化黙導於東宮者、其惟在一   師氏乎、其至敏孝之三徳、即修斉治平之本也、   為儒者不斯義也、否則雖于世、   惟事末而遺本、要帰乎王荊公之唾余而已、故   先儒懲其事末而遣本者、以為関雎麟趾之   意、然後可周官之法度、此雖周官之定   論、而非定論也、何則至敏孝之三徳、其亦関   雎麟趾之源也、無其源、則其流何能為澄清哉、   故吾毎曰、不周官制度以立法導君、則関雎   麟趾之徳難成矣、非乎、



冢宰。周礼の
制によれば、天
地春夏秋冬の六
官に分ち、天官
の首位を冢宰と
いふ、冢は大な
り。
潜化黙導。人
知れず化導す。
師氏。周礼の
地官にあり、道
芸を以て国子に
教ゆ。
至敏孝の三徳。
師氏の職。三徳
を以て国子に教
ゆ。一に曰ふ至
徳、二に曰ふ敏
徳、三に曰ふ孝
徳。
王荊公云々。
宋の王安石、荊
公に封せらる、
周礼を以て天下
を治めんとして
却て之を乱す、
唾余は其の失敗
の残り物。
先儒。程伊川
を指す。其言二
三項摘解に出づ。


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