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三 儒門空虚聚語二巻附録一巻
此書は天保四年の末、刻本に着手して、翌五年の春に成つた。中斎の
学は太虚を信条とした、而かも太虚を疑ふ者は少くない、是に於て此書
を編し、太虚の聖説に本づき、仁と云ひ、中と云ふも、皆太虚に出づる
ことを明かにしたのである。自序の中にいふ、
余は陋撰箚記中に於て、毎に太虚の説を僭述す。今孔子の空々、顔子
の屡空等の経文と先儒の註釈論説の之に係る者とを収め萃めて此書を
編す。友曰く、空虚の二字は仏氏の学にして、儒者の忌む所と。余曰
く、仏氏中国に入らざる前、孔子既に空々、顔子は屡空といふ、仏氏
中国に入る後、かれ亦空を言ふ、是に於て、我空と混ず、而て其の極
を論ずれば、只死活の異あり。
右は又た中斎が禅教に対する真意が窺はれる、要は我は活、彼は死と
いふのである。
此書初めに自序一篇と、序後附載として岡山藩石黒氏の嘱に応じて作
つた「跋藤樹先生致良知三大字真蹟」の文を置いてある。上巻は先づ
孔子の語、大学易等の語を掲げて、次に諸儒の空虚に関する説を列挙し、
下巻は単に諸儒の空虚に関する所説を列挙して居る。また中斎は、初め
此書を時の大儒猪飼敬所に贈つたが、敬所は其の訓点の錯誤を校讎して
返した。因つて其の若干條を欄外に追鐫し「追鐫猪飼翁校讐之記」の一
篇を下巻の末に加へた。
附録一巻は主に弟子の質疑に答へた書牘を収め、中斎の手に成る「附
録引」なる短篇が冠らせれて居る。全体で上巻は経語十一則註蔬九七條
を、下巻は先儒の語百十一條を収めらる。
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石崎東国
『大塩平八郎伝』
その63
萃(あつ)めて
校讎
(こうしゅう)
校正
追鐫
(ついせん)
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