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明けて天保五年となる。時に市内り饑民少しも減ぜず、餓死者は頻出
した。適々正月元旦にあたり、中斎愀然として楽しまず、左の二首を賦
して述懐した。
甲午元旦口号二首
テ ス カム シ リ ノンドヲ
新衣着得祝新年。羹餅味濃 易下咽。
チ フ キヲ ヅ
忽思城中多菜色。一身温飽愧于天。
ヅ ム ゾ シ ニ
一身温飽愧于天。隠者寧 無心救全。
カバ チ ハレン シテ ク ノ
闘在鄰郷往 飜 笑。黙繙大学卒章編。
ざうに つか
右は饑民の惨状を見ては元旦を祝ふ羹餅も咽に支ゆる心地して、自分
く ら
の不自由なく起居すのが天に対して愧かしいといふのである。後首は又
尤も意義の深いものがある。孟子離婁下に、治水の為め苦労した禹と、
孔子を師として浮世を余所に修業した顔回との比較論をして、顔回とし
ては禹と立場が違ふから、鄰村に喧嘩があつても慌てゝ救ひに行く必要
はないと言ふて居る。中斎は今其の事に想を馳せて、自分は隠居の身で
ある、出過ぎては物笑ひとなるといふのが「闘在鄰郷往飜笑」の句意
をは
である。又た大学の卒りの章に、利を貪る小人に国家を治めさすれば、
災害竝に至るとある。当時の幕政は之に相当して居るが、己れ隠居の身
である、虫を殺して黙つて大学卒章を読むといふのが末句の意味である。
中斎当時の心情が想ひ遣らるゝである。
此間にも中斎は儒門空虚聚語を家塾で刻し、神宮文庫に奉納した。又
た養子格之助に養女みねを妻はした、みねは橋本忠兵衛の娘である。二
月には伊勢神宮に参拝し、林崎文庫に於て古本大学の致知格物を講じた、
此は従来学者の最も栄誉とする所であつた。
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愀然
(しゅうぜん)
顔色を変える
さま
石崎東国
『大塩平八郎伝』
その63
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