Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.7.22

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩中斎』

その44

山田 準(1867−1952) 

北海出版社 1937 『日本教育家文庫 第34巻』 ◇

◇禁転載◇

後編 兇年の惨状と猾吏驕商の膺懲
 第二章 元旦の述懐
管理人註
   

 明けて天保五年となる。時に市内り饑民少しも減ぜず、餓死者は頻出 した。適々正月元旦にあたり、中斎愀然として楽しまず、左の二首を賦 して述懐した。     甲午元旦口号二首      テ ス       カム シ リ ノンドヲ  新衣着得祝新年。羹餅味濃 易咽。  チ フ   キヲ        ヅ  忽思城中多菜色。一身温飽愧于天。       ヅ  ム    ゾ シ    ニ  一身温飽愧于天。隠者寧 無救全。        カバ チ ハレン シテ ク  ノ  闘在鄰郷往 飜 笑。黙繙大学卒章編。                  ざうに      つか  右は饑民の惨状を見ては元旦を祝ふ羹餅も咽に支ゆる心地して、自分        く ら の不自由なく起居すのが天に対して愧かしいといふのである。後首は又 尤も意義の深いものがある。孟子離婁下に、治水の為め苦労した禹と、 孔子を師として浮世を余所に修業した顔回との比較論をして、顔回とし ては禹と立場が違ふから、鄰村に喧嘩があつても慌てゝ救ひに行く必要 はないと言ふて居る。中斎は今其の事に想を馳せて、自分は隠居の身で ある、出過ぎては物笑ひとなるといふのが「闘在郷往飜笑」の句意          をは である。又た大学の卒りの章に、利を貪る小人に国家を治めさすれば、 災害竝に至るとある。当時の幕政は之に相当して居るが、己れ隠居の身 である、虫を殺して黙つて大学卒章を読むといふのが末句の意味である。 中斎当時の心情が想ひ遣らるゝである。  此間にも中斎は儒門空虚聚語を家塾で刻し、神宮文庫に奉納した。又 た養子格之助に養女みねを妻はした、みねは橋本忠兵衛の娘である。二 月には伊勢神宮に参拝し、林崎文庫に於て古本大学の致知格物を講じた、 此は従来学者の最も栄誉とする所であつた。



愀然
(しゅうぜん)
顔色を変える
さま

石崎東国
『大塩平八郎伝』
その63
 


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