中斎は祖父老年の故を以て、文化三年の十四歳には、早くも東町奉行
の与力見習に出仕した。既にして露英の兵艦近海に去来し、外警頻に伝
はり、幕府海防に注意した。中斎深く時事を憂へ、官に稟して曰ふ「方
今士風漸く頽れて、武事を忽にし、人々皆剣槍弓銃の事を顧みず、一旦
変故に会はゞ何とかせん、小人願くは之を振作せん、請ふ三年を期して、
各其業を修めしめん」と。後ち官が与力其他士人を試むるに、武技大に
進み昔日の観を改めた。之に因つて、中斎は賞与を蒙つたが、当時大阪
の士人が始て武技に練達するに至つたのは、実に中斎の恩恵であつた。
中斎は十九歳となつた。此時定町廻役に勤仕したが、市中に盗難が頻
出した。中斎は炯眼、早くも其海賊の所業なることを看破し、海賊三十
余人を捕ヘた。此が勤役劈頭第一の功名と称せられた。
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