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中斎は初め家譜を読んで功名心に燃えたが、既にして与力の職に就き、
実地公職を執るに及び、自己学問の素なく、驕慢非僻心を欺き、理に背
くことの多きを慨み、心機一転、決然儒学を志ざした。即ち従来は外に
向つて功業に熱中したが、今は自分の病を治め、自己を完成することの
緊切を覚り、志望再変したのである。時に中斎二十歳であつた。此に至
つては中斎既に功業窩中の人では無かつた。佐藤一斎に与へた書中に曰
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向者之志欲立而不能立。依違因循。年踰二十。吏人未嘗有学
問者。故雖有過失。無益友誡之者。其勢不得不発欺罔非
僻驕慢放肆之病也。而無是非之心非人也。竊自問於心。則作止
語默。獲罪於理者蓋夥矣。要与在笞杖下赭衣一間耳。而無羞
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耻之心非人。治彼罪也。則不可不治己病也。治病奈何当
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従儒以読書窮理而後愈矣。故就儒問学焉。於是功名気節之志乃
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自一変矣。
中斎は因循擬議の人でない。既に囚人を治するに当り、自己の心事
を省みて、赭衣の囚徒と一間の差なきを覚つては、功名心は一朝に霧散
した、猛然として自己の病を治むべく儒学に向つたのである。
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石崎東国
『大塩平八郎伝』
その22
幸田成友
『大塩平八郎』
その174
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