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文化四年は中斎十五歳であつた。始めて家譜を読んで、家系の今川氏
に出づるを知り、慨然として、平常刀筆に従事し、獄吏の班に伍するを
耻ぢ、功名気節を以て祖先の志を継がんと欲した。他日佐藤一斎に寄せ
た書中に左の如く述べてゐる。
僕之志有三変焉。年十五。嘗読家譜。祖先即今川氏臣。而其族也。
今川氏亡後。委贄于我神祖。小田原役。刺将于馬前。而賞之以
御弓。又錫采地于豆州塚本邑焉。当大阪冬夏役。既耄矣。不能
従軍以伸其志。而徒戌越後柏崎堡而已。建後、終属尾藩。
而嫡子継其家。以至于今。季子乃為大阪市吏。此即我祖也。僕
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於是慨然深以従事刀筆。伍獄卒市吏為耻矣、而其時之志則如
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以功名気節欲継祖先之志者。而居恒鬱々不楽之情。実与劉伸
晦未得志時之念亦奚異。而非謂器比焉也。而父母僕七才時倶沒
矣。故不得不早承祖父職也。
右の如く中斎は十五歳、家譜を読むに及び、慨然として功名気節を以
て名を天下に成し、祖先に継がんと欲し、是に於て最も力を軍学武芸に
用ひた。そこで柴田勘兵衛の門に入つて佐分利流の槍術を学び、兼て中
島流の砲術を学んで奥儀を極めた。殊に槍術に至つては、関西第一と称
せらるゝに至つた。
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幸田成友
『大塩平八郎』
その174
石崎東国
『大塩平八郎伝』
その19
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