Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.5.10

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩中斎』

その4

山田 準(1867−1952) 

北海出版社 1937 『日本教育家文庫 第34巻』 ◇

◇禁転載◇

前編 修学及吏職
 第四章 立志 功名氣節
管理人註
   

 文化四年は中斎十五歳であつた。始めて家譜を読んで、家系の今川氏 に出づるを知り、慨然として、平常刀筆に従事し、獄吏の班に伍するを 耻ぢ、功名気節を以て祖先の志を継がんと欲した。他日佐藤一斎に寄せ た書中に左の如く述べてゐる。  僕之志有三変焉。年十五。嘗読家譜。祖先即今川氏臣。而其族也。  今川氏亡後。委贄于我神祖。小田原役。刺将于馬前。而賞之以  御弓。又錫采地于豆州塚本邑焉。当大阪冬夏役。既耄矣。不  従軍以伸其志。而徒戌越後柏崎堡而已。建後、終属尾藩。  而嫡子継其家。以至于今。季子乃為大阪市吏。此即我祖也。僕                           ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○  於是慨然深以事刀筆。伍獄卒市吏耻矣、而其時之志則   ○ ○  ○ ○ ○ ○  ○  ○ ○ ○ ○ ○  以功名気節祖先之志。而居恒鬱々不楽之情。実与劉伸  晦未志時之念亦奚異。而非器比焉也。而父母僕七才時倶沒  矣。故不早承祖父職也。  右の如く中斎は十五歳、家譜を読むに及び、慨然として功名気節を以 て名を天下に成し、祖先に継がんと欲し、是に於て最も力を軍学武芸に 用ひた。そこで柴田勘兵衛の門に入つて佐分利流の槍術を学び、兼て中 島流の砲術を学んで奥儀を極めた。殊に槍術に至つては、関西第一と称 せらるゝに至つた。












幸田成友
『大塩平八郎』
その174





















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『大塩平八郎伝』
その19
 


『大塩中斎』目次/その3/その5

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