天満の火事に出働の積りで八軒家に集つた消防隊が、此体を眺めて天満天紳の橋
難波橋
板を外づして防いだので、乱民は浪花橋を渡つて北船場の東部に侵入し白昼放火
略奪を恣にした。
(5)
唯の火事なら沢山の野次馬が大声を発して元気よく走り廻るので騒々しいが、此
時は火の燃えるまゝに誰一人消しにかゝる者も無く、煙の下で蒼白い顔で血走つ
た眼の人達が無言で忙がしく動いてゐた。「大塩様の謀叛や」との密語が秘々と
到る所で語られ市人は唯何となしに戦慄した。
尼崎
市中の役人蓮は非番、非役の者まで悉く城へ詰め掛け、近郊の尼、岸和田、高槻
などの諸藩士も続々馳せ付けたので一通りの人数が集まつたから、城代の命で鎮
撫隊を出した。其れが追手を真直に淡路町に差しかゝつたときに、乱民の先頭が
堺筋を北船場から南船場へ向つて来るのと、┓字形に衝突して双方から数発の小
銃が放たるゝと暴徒側に二三の死傷が出て、乱民は蜘蛛の子を散らす様に壊乱し
た。程なく火も鎮まつた。朝から晩まで一日丈の騒ぎであつた。去れども夜に入
つて市人の恐怖は段々増して来た。実に想ひも附かぬ突発的大事件で、其れが又
余りに速く片付いたので、之れ切りかどうか不安甚Lい。密かに老幼や大事の品を
郊外へ移す者、近在から知辺へ見舞に来る者、翌日の夕まで凄然たる動揺が続い
てゐた。
大塩の加担人等は現場を脱して思ひ/\に郊外へ落ち延びたが、初めから仕度の
あつたことでなく云はば発作的の行動と行掛りに巻き込まれたのであるから、旅
費などの用意はあるべき筈なく、当日の朝から碌々食事もしてゐぬので遠くへ逃
ぐることは出来ぬ。公辺では前夜の密告者から其人達の氏名風釆など詳かであつ
たので、翌日から翌々日までの間に悉く捕へて仕舞つたが、中には捕吏の姿を見
ると速座に自殺した者もあつた。
されど肝心の首脳が行方不明なので久しく獄に投じてあつたので、牢死した者も
出来たが最後に大方死刑に処せられた。
大塩父子は川船で暗を頼りに市中を出たが、何所も危いので又引き返し、靭の染
物屋の土蔵に潜伏した。其家は夫婦と年頃の娘に一人の下婢と四人暮らしで、先
年公事のことで家内中大塩を徳としてゐたのであるが、余程其包み方が巧みであ
つたので容易のことで発見されなかつた。
其内市中で種々の噂さが立つた。「大塩様は去る大藩にかくまはれてやはる」
「何処の山奥で浪人を集め兵糧を貯へてゐやはる」「先年貢から取つた切支丹の
本を読んで天へ昇りやはつた」日数の経つに連れて段々見当が着かなくなると、
大方時人は忘れて仕舞うた頃である、染物屋の下婢が宿下りに主家では家族の数
より食物の調理が毎日二人宛多いとのことを両親に口走つたので緒口が付き捕吏
が向かつたときに、染物屋親子三人は一言も発せず各々用意の短刀で急処を貫き
倒れた。其時に奥の土蔵の中で爆音が起ると共に黒煙を吹出し寄り附くことが出
来ぬ。焼跡に二人の男が黒焦げになつてゐた。之れ大塩父子の最後である。
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(5)騒乱が船場へ拡つたとき鴻池へ大砲が打ち込まれた。其頃の大砲は一発
打てばあとの冷へるまで半日位再発することは出来なかつた。大塩の騒
動で発砲は天満出発のときと此時と二回である。
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