その2 吉田祥三郎編・刊 『聴潮館叢録 別巻之三』1938 所収
適宜、読点を入れ、改行しています。
嘉永前後、編者の祖父角弥正音君が大阪留守居役を勤めし頃の記緑によりて留守居役勤方並に諸藩類役との寄合交歓の実況を本書に書留め後年の参考となさんと思ふのである、
大阪所在の諸藩蔵屋敷に、譜代大名と外様大名と、又大藩と小藩との差別あり、其相互関係も種々格式の相違ありて、諸事同一の交際は出来ぬ訳である、本国の知行高と格式に準じ、同気相求むる者が一団々々と組合を作りて時々の寄合交歓を結ぶ人情に於て、古今の相違あるべからず、但し組合の事は両町奉行所へも届置くべきなれば、昔それ\゛/の由緒先格もありしなるべし、
臼杵藩は五万石の外様大名にて、大阪留守居役が主として往来交際せしは、
大洲(伊予加藤侯 六万石)、
平戸(肥前松浦侯 六万石)、
唐津(肥前小笠原侯 六万石)、
丸亀(讃岐京極侯 五万石)、
嶋原(松平侯 七万石不詳)、
延岡(日向内藤侯 七万石)、
岩国(周防吉川侯 六万石)、
大村(肥前大村侯 二万八千石)ヽ
松前(蝦夷松前氏 此頃所領高不明)、
の諸侯蔵屋敷にて、之を御組合 *1 と称へ、左記の留守居役心得方覚書に、毎月十八日住吉屋内会とあり、毎月例会を催ほしたるものにて、類役の交代送迎等稍や念入りの趣向あり、藤の名所の野田の料亭、北郊の鶴の茶屋、南は天下茶屋、住吉、東上町の産湯(ウブユ)楼等に、両刀をたばさみし嫖客を思ひ浮べることあるべし、
嘉永年中の定席住吉屋 *2 を何処に尋ね出すべきや、今は其詮なかるべし、