Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.3.3訂正/2002.11.30

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『諸藩蔵屋敷と大阪留守居役』

その2

吉田祥三郎編・刊 『聴潮館叢録 別巻之三』1938 所収
◇禁転載◇

適宜、読点を入れ、改行しています。


嘉永前後、編者の祖父角弥正音君が大阪留守居役を勤めし頃の記緑によりて留守居役勤方並に諸藩類役との寄合交歓の実況を本書に書留め後年の参考となさんと思ふのである、

大阪所在の諸藩蔵屋敷に、譜代大名と外様大名と、又大藩と小藩との差別あり、其相互関係も種々格式の相違ありて、諸事同一の交際は出来ぬ訳である、本国の知行高と格式に準じ、同気相求むる者が一団々々と組合を作りて時々の寄合交歓を結ぶ人情に於て、古今の相違あるべからず、但し組合の事は両町奉行所へも届置くべきなれば、昔それ\゛/の由緒先格もありしなるべし、

臼杵藩は五万石の外様大名にて、大阪留守居役が主として往来交際せしは、

の諸侯蔵屋敷にて、之を御組合 *1 と称へ、左記の留守居役心得方覚書に、毎月十八日住吉屋内会とあり、毎月例会を催ほしたるものにて、類役の交代送迎等稍や念入りの趣向あり、藤の名所の野田の料亭、北郊の鶴の茶屋、南は天下茶屋、住吉、東上町の産湯(ウブユ)楼等に、両刀をたばさみし嫖客を思ひ浮べることあるべし、

嘉永年中の定席住吉屋 *2 を何処に尋ね出すべきや、今は其詮なかるべし、


管理人註
*1 「留守居組合」の例として、泉正人「藩庁文書の伝来秩序と藩職制−岡山藩大坂留守居作成文書を素材に−」(『藩世界の意識と関係』岡山藩研究会編 岩田書院 2000)には岡山藩の属するものとして次のものをあげている。 *2 森泰博「府内藩大坂蔵屋敷の業務」 (『大阪の歴史 第25号』大阪市史編纂所編 1988) p14に「振舞茶屋の住吉屋治兵衛方、隔月の二十一日に一三匁五分の会費でおこなわれた。」(文政期の史料による)とある。同じ「住吉屋」か。
 『商業資料』を基にした『上方おもしろ草紙』(遠藤章弘編 朋興社 1988)p230に「名高い振舞茶屋」として「北の新地の住吉屋」があがっている。


『諸藩蔵屋敷と大阪留守居役』目次/その1/その3

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