Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.3.3訂正/2002.12.7

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大塩の乱関係論文集目次


『諸藩蔵屋敷と大阪留守居役』

目 次

吉田祥三郎編・刊 『聴潮館叢録 別巻之三』1938 所収
◇禁転載◇

適宜、読点を入れ、改行しています。


その1蔵屋敷の位置と役割3700B
その2留守居組合3200B
その3大阪の剣工4500B
その4大阪御留守居心得方覚 嘉永元年6000B
その5留守居役心得方覚書2800B
その6内会引受之節覚書 嘉永二年2200B
その7同  廻 章3000B
その8同  床 餝 2300B
その9江戸藩邸御類火当時の消息  嘉永三年6500B


例 言

明治維新前、大阪の堂島、中之島、土佐堀、薩摩堀附近一帯、及び河岸処々に諸藩の蔵屋敷あり、所領海陸の物産を回漕入津して各倉庫へ水揚せられ、大阪留守居役の支配を以て御出入商人に売買せしめ、夫々本国の経済を賄ひしと云ふ、

維新後に至りて蔵屋敷の多くは三菱、三井、住友、鴻池、杉村、其他個人倉庫業著の所有に帰し、或は普通住宅店舗に改造したるものあれども、大体は依然諸国物産の呑吐集散の役目を為せり、明治後新規増設の倉庫亦少なからず、大正昭和の現代は大阪の形勢も一変して紡績業其他諸工業隆盛に及び、商業と云はんよりは寧ろ商工業発達殷賑を極むと雖も、明治以前は諸国物産の呑吐集散を以て大阪の生命と為せしものにて、諸藩蔵屋敷の大切なりしことを知るべし、

而して其局に当りし留守居役の寄合交歓の情景は、規模の大小、趣向の相違こそあれ、恰かも現代上流紳士の一部定連がホテル、倶楽部、公会堂の主たる顧客として登場し、威容風姿の優に鮮やかなると同様の観ありしと云ふ、

若し大阪土著者より見て諸藩蔵屋敷の集合櫛比せる地区を、支那の外国居留地、共同租界に擬するならば、大阪留守居役は正しく外国使臣、領事同格の役員と見るべきである、

且亦諸藩の武器道具等も各城下にて要便を済ませしものゝ外は、留守居役を通して大阪へ注文するもの少なからず、慶長前後より大阪に剣工名匠の輩出せしは目覚ましき事である、委曲は本文を見るべし、祖父角弥正音、大阪留守居役勤仕録の一部を附記す、

【後略】

昭和十三年五月 編者記


(巻末)
諸藩蔵屋敷址に就て

巻首「諸藩蔵屋敷と大阪留守居役」の一項1、諸藩蔵屋敷の多くは明治維新後、倉庫会社、個人倉庫業者の所用に帰し或は住宅店舗に改造されしものある事を記せしが、現代諸官衙、学校、病院、其他公用敷地となりしものゝ少なからぬ事は誰れも知る所なれども、此事に言及せざりしは編者の無念である、蔵屋敷址の変化経路を穿鑿すること亦多少の興味あるべし、巻末一言を追録すと云爾

編者記


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