Я[大塩の乱 資料館]Я
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大塩の乱関係論文集目次


「大 塩 平 八 郎」

その20

猪俣為治

『朝日新聞』1898.10.10 所収


朝日新聞 明治三十一年十月十日
大塩平八郎 (廿四) 猪俣生

  其五 洗心洞(続)

吾人ハ平八郎が大雄弁家たりしや否やを知らず、然れども彼が其裁断場裏に於て錬磨したる峻脂s捷(しゆんれいえいせふ)の舌を以て、陽明先生の簡明直截なる学理を講ずるや、想ふに其一抑一揚、説きて門生の惰心を鞭韃する処に至れバ、恰も昔者(むかし)陸象山が、白鹿洞書院に於て朱子の門弟に対し小人悟利(りにさとる)の一章を講じ、横説竪説(じゆせつ)、数十時間の長に亘り、門弟をして慚愧畏縮流汗背に浹ねからしめたりし概ありしならん歟、平八郎の居宅の庭前に一松樹あり、彼が経を説くに当りて、疑難する者あるや、毎に必ず松樹を指して比喩を取れり、而かも其説明極めて的確にして、聞くものをして疑団氷釈、復た遺憾なからしめたりと云ふ、胸中朗々として一理以て万殊を貫通するに非ずんバ、焉ぞ能く此に至るを得んや、文政八年八月十五日夜に於て、平八郎朋を会して大学の悪於上(かみににくまるゝ)の章を講じたる時、聴者感奮し、興起したるもの少からずと云ふに拠れバ、彼が非常なる警醒感化の妙力を有したるや知るべきなり、彼此時詩を作りて曰く、 昔者山崎闇斎、天性峻厳にして師弟の間儼(げん)として 君臣の如し、諸生常に相語りて曰く、吾儕(さい)未だ伉儷(かうれい)を得ず、情慾の感時に動きて自から制する能はず、然れども一たび先生に想及すれバ、慾念頓(とみ)に 消して寒からずして慄するものありと、思ふに平八郎の門生が彼に対する、亦此の如きものありしならん歟、

然れども平八郎も時としてハ諸生を集めて、款語(くわんご)之に戯ることなきにあらず、左に記する所を見て之を知る可し、

詩の荘重なるに関せず、無邪気なる童子に促されて其請を容るゝ処、恩情掬すべし思ふに此際に於ける平八郎ハ唯和易平静其親み易きを見るのみなりしならん、蓋し平八郎の門生を教授するや、博覧強記を勧めしむるよりも寧ろ精読専一ならんことを勧め、読書記誦に孜々(しゝ)たらしむるよりも寧ろ心上の工夫に力を用ひしめ、事物を外に明にせしむるよりも寧ろ理義を内に究めしめ、徒らに才芸を重ずることを為さずして専ら節義徳行を砥礪(しれい)せり、而して其門生を警醒するや、常に立志を以て基となせり、彼曰く、「聖賢の聖賢たる豈他あらんや、只吾教の明徳を明にし以て父に親み、以て天下の父子に及ぼし、吾教の明徳を明にして以て君に親み、以て天下の君臣に及ぼし、至善に止りて動かざるもの此之を聖賢と謂ふ、故に人々志を立つて以て至善に止まるの地に至れバ、則ち亦聖賢なり」、又曰く「吾心の至善を知らずんバ、博く経藉に渉り、巧に文字を彫すと雖も、要するに皆禽獣の師のみ、豈万物の霊と謂ふ可けんや、汝等之を思ひ、亦当に志を立つるを以て急務と為す可し、然らざれバ口に孔孟朱王の糟粕を甞むるも、猩々のみ、鸚鵡のみ、豈愧ぢざらんや、豈愧ぢざらんや」と、是れ彼が平素弟子に教ふる所の大要なり、


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猪俣為治「大塩平八郎」目次その19その21

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