その26
『朝日新聞』1898.10.19 所収
朝日新聞 明治三十一年十月十九日
大塩平八郎 (卅二) 猪俣生
竊に意ふに、平八郎ハ造化が一種特別な模型に因りて造作したる人物にして、其生来の禀質遥に人に異なれり、故に普通の常識を以て之を思議すべからざること、猶ほ前世界に生存せしと云へるマストドンの如きものあらん、然れども熟々(つらつら)彼が幼時よりの行動に因りて之を窺ふに、彼は乃ち剛胆にして警抜、恢烈にして真摯、温厚よりも寧ろ酷峭に流れ、快活よりも寧ろ憂愁に傾き、慎重よりも寧ろ粗笨(そほん)に失し、寛容よりも寧ろ褊狭に過ぎ、善を好むこと饑渇の如くにして而かも之を得るの方法を熟慮せず、悪を悪むこと蛇蝎の如くにして而も之を除くの手段を審思せず、其志の向ふ所、直進猛前、一往還らざるの矢あり、加之彼ハ陽明の学術を以て其心性を鍛練したるを以て、其英気の凛凛たること、恰も一箇の金剛漢の如く、其胸中ハ常に道義を以て充満し、理想亦往々にして常規の外に超脱するものあり、而して此道義、此理想に照して、一たび社会の状態を観察せんか、治者其責を尽さず、学者其任を行はず、強者ハ弱者を凌ぎ、富者ハ貧者を苦しめ、道徳頽壊、風俗漓薄、天下の蒼生既に深患太苦の中に陥いるを見る、是を以て之を改革し、之を刷新し以て、王道蕩々の域に擠せんとするの熱心ハ、凝りて焔々たる一団の活火と為り、此満腔の活火、之を東方に発洩せざれバ必らず之を西方に発洩せんとし、之を上位に在りて発揮する能はずんバ、必らず之を下位に在りて発揮せんとす、然るに彼幸に長官の知遇を得て、其幾分を政治の上に試むるを得たりしと雖も、一旦其位地を去るや、勢、革命的運動に出でざるを得ざるを得ず、加ふるに天災地変交々(こもゞも)臻(いた)りて、有司毫も其職を尽すなし、是に於てか彼が胸間に蟠屈せる大英気と大熱心とハ、今や激して彼をして大発狂者たらしめ、インスピレーシヨンハ常に彼が脳裏に来往し、幻影頻りに彼が眼眸に照映するに至れり、此時や正に是れ神人相感応するの瞬間にして、人間思想の最高潮たり、是れ俗人の所謂「如何なる天魔の魅入しやらん」と評する所にして、識者の称して以て神化復活の候と為す所なり、是れ予言者イザヤ、イレミヤの感ぜし所、是れ宗教家ルーテル、ノツクスの感ぜし所、乃ち平八郎が謂ゆる我狂者也との一語ハ、実に是れ古来聖賢義に由り道に殉ずるの心情を况似せる伝神の一句なり、