Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.7.18訂正
2000.7.15

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大塩の乱関係論文集目次


「大 塩 平 八 郎」

その5

猪俣為治

『朝日新聞』1898.9.21 所収


朝日新聞 明治三十一年九月廿一日
大塩平八郎 (六) 猪俣生

  其三 治績(続)

天満街に傘(からかさ)工某なるものあり、予て常供を為せり、常供とハ常に与力同心等に随従して賎役を執るものなり、其性奸譎、常に官威を仮りて人を軽侮し、且つ貧民に金銭を貸与して高息を貪り、還期に及べバ劫掠誅求至らざるなく、之が為に家を喪ひ産を破り、妻子を売り、他国に遁逃するもの勝(あ)げて数ふ可からず、平八郎之を聞き大に怒りて曰く、猾奴何為(なんすれ)ぞ斯くの如く無状なる、吾一策を施して之を膺懲せざる可からず■(?)、乃ち人を介して慇懃を通じ、金百金を彼に借り、封金の侭之を架上に置き、期到れども之を還さずして延引数月に及ぶ、某督促矢の如く、若し還さずんバ官に訴へんと迫る、平八郎之を聞きて曰く、今ハ則ち可なりと、是に於て某を庭内に呼び、封金に利息を添へて其面前に投じ、大声之を叱して曰く、咄、賎丈夫、汝平日与力同心の威を假りて人を慢侮虐待し、又無法の高息を貪りて貧民を劫掠す、其罪決して宥すべからず、今余の此金を汝に還すハ、汝の首に換へんが為なり、汝其れ天誅を受けよと直ちに刀を抽きて起つ、某顔色土の如く戦慄叩頭泣て罪を謝す、因りて平八郎(わづか)に怒を止め、大に後来を戒めて之を放てり、是より某深く其非を悔いて、頓に悪行を改めたり、

斯くの如く平八郎は糺察逮捕と断訟【言献】獄との重任に当り、兼てハ施政顧問の員に備はりて奉行の諮詢に答へ、難を排し紛を解き、疑を決し事を定むるに於て一として之に参画せざるハなかりき、知らず平八郎は此がために気疲れ力竭き、沮喪困【足立/口】せしことなかりしか、山城守ハ彼を愛し、同僚ハ彼を敬し、市民ハ彼を慕ひ、彼ハ屡々(しばしば)賞与を得、時としてハ一年に白銀百枚を賜はりしことありと云ふ、知らず平八郎ハ此光栄の為に心を動かし、意充ち気驕ることなかりしか、曰く否、彼ハ冲漠無朕の工夫に於て自得する所あるや久し、彼の心境ハ明鏡の如く、胡来れバ胡現し、漢来れバ漢現す、是れを以て百事眼前に蝟集するも手に応じて処理し、未だ曾て窮困することあらず、况んや区々たる功名利達をや、意ふに此等外来の附加物ハ彼に於てハ猶浮雲の太虚を過ぐるが如けんのみ、今吾人ハ此間に於ける平八郎の心境を描かんが為に、左の二三詩を挙示せむ、

嗚呼是所謂慎独の工夫を稠人廣座の中に試み、応酬の工夫を間居独処の時に鍛ふものにあらずや、鳶飛魚躍的の気象を止水定雲の中に養ひ波恬浪静的の風光を風狂雨驟の処に有するものに非らずんバ焉ぞ能く此地位に至るを得んや、世人眼盲にして徒らに彼れが事績の嚇劃々たるに驚歎す、而して彼れが心上の工夫、実に此を致せるを知らざるなり、若し夫れ彼が生死利害の外に立ち、掣龍搏虎特絶の伎を擅(ほしいまゝ)にし以て天下をして駭目驚心せしめたるハ左に記する三事実なりとす、


大塩平八郎関係年表


猪俣為治「大塩平八郎」目次その4その6

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