その56
『朝日新聞』1898.12.6 所収
朝日新聞 明治三十一年十二月六日
大塩平八郎 (六十七) 猪俣生
山城守ハ与力渡辺勘左衛門(荻野勘左衛門)、並に捕方役たる同人子息荻野四郎助、磯矢頼母を召し事の情を彼等に語り、伊賀守の配下と合して共に平八郎を逮捕すべしと命令せり、時に三人大に驚き同声相答へて曰く、生等ハ固(も)と平八郎の門人にして、共に文武の教を受けたるものなり、近者公用多端にして彼を訪問せしことなきを以て、其挙動の如何ハ之を詳かにするを得ずと雖も、平生彼より聴く所の教示より考ふれバ、助次郎密訴の一事、生等之を信ずること能はざるなり、元来平八郎ハ剛陽の気質なるに、近年ハ殊に甚しきを加へ、親しく往来する人人に対してハ、意外の大言を為すこと決して尠しとせず、思ふに助次郎自己の謹直よりして之を事実と誤り、軽率に密告したるに非ざるか、若し事信ならざるに軽々しく逮捕を試むるが如きあらバ、是れ彼に時端を発するの口実を与ふるものなり、十九日の巡見をだに延引せバ、異変に就て憂ふべきなし、乞ふ逮捕のことを緩うして、生等をして先づ審かに其実否を探らしめよ、若し半点怪しむ可きことあらんか、其時に至りてハ生等三人身命を抛ちて以て之が捕縛に当らんと、山城守其言の理あるを知り、三人をして去て探偵を遂げしめ、且つ伊賀守に報ずるに他に便宜の法ありしに因り、暫く平八郎の逮捕を緩うしたるを以てしたり、是れ此三人ハ必ずしも助次郎の密訴を信ぜざりしにハ非ず、唯己等の平八郎の敵たる能はざるを知り、口実を設けて一時の危きを脱れたるに過ぎざるなり、山城守ハ三人の探報如何を待居たれども、其 夜深更に及ぶも未だ何等の報知あらざりき、然るに翌十九日の払曉に及びて、又密訴者あり西町奉行堀伊賀守の邸内に駆け込めり、
茲に至りて子メシエスの悪神ハ其党与を増たり、イフカリテトハ一人より二人となれり、三人より四人と為れり、今や平八郎の画策ハ其頼みなきこと猶風前の灯火の如し、知らず此微々たる風前の灯火、此一撲の風の為に消滅し了(をは)るか、将た此風力に激動して焔々天を燃くの猛火と為るか、